耳ヨリくじら情報
「青森の食文化はかつての藩の名残で大きく西側の津軽(青森、弘前、黒石など)と、東側の下北および南部(八戸など)3地域に分かれる」と話すのは、柴田学園大学短期大学部の北山育子特任教授。3地域とも鯨食文化はあり、地域の野菜や山菜などを使う。
弘前では塩皮をナスと炒めたり、酢の物など日常食として食す。下北では正月、塩漬け保存した山菜などとクジラ汁を作る。大きなものにあやかるハレの食だ。
一方、八戸では同じクジラ汁でも日常食。根菜類のほか寒干しダイコン、凍り豆腐などと食べる。
クジラ汁はいずれも味噌仕立てだ。
「縄文時代の集落、三内丸山遺跡からも鯨骨が出土するなどクジラとの関わりは深い。それでも捕鯨モラトリアムが長く、食文化はずいぶん失われた」と北山特任教授は話す。「クジラ汁は大切な郷土料理。継承に努めていく」と話した。
商業捕鯨での鯨肉流通
「最近、鯨肉が目に付くようになってきた。鯨食の機会は増えている」と話すのは、青森魚類(株)食品部冷凍・鮭鱒課の山内達矩留係長。北西太平洋のニタリとアイスランドのナガス、ノルウェーのミンクなどを主に扱う。赤肉のほか、調理不要のベーコンも出る。
「販売量が一気に増えることはないと思うが、積極的に売っていきたい」と山内係長。今後は仲卸などと県・市の学校給食を模索。子供への普及にチャレンジする。
八戸は生肉の上場
初夏、八戸や大畑には小型捕鯨協会傘下の2隻がミンククジラ、ツチクジラを水揚げし、地元を中心に全国へ供給する。
「今年のミンククジラとツチクジラの上場は4月中旬から7月初旬の予定。衛生管理された近くの解体場で処理される」と話すのは、(株)八戸魚市場市場部の松森義昭課長。同社は昨年15回で約6トンを販売した。このほか同社では釧路産なども扱う。2017年に八戸に基地ができて話題性が高まった。メインは赤肉や胸肉だが、ウネスやサエズリなども売れる。
「とにかく県内、市内に鯨肉を広めて誰でも食べられるようにしたい」と松森課長。
以前は市内の学校給食でクジラ汁が提供されたが、最近は見られなくなった。何とか若い人に食べてもらえるようにしたいと考える。
八戸の郷土料理居酒屋「肴町のらぷらざ亭」(小笠原美千代女将〈おかみ〉)では、「くじな(くじら)汁」を提供する。寒干しダイコンやジャガイモなど具だくさんだ。「せんべい汁とともに、よく注文がある。クジラの水揚げが始まると刺身なども提供する」と小笠原女将。「郷土料理の店として、くじな汁は続けていく」と頼もしい声が聞けた。
後日、小笠原女将から「八戸とクジラとの歴史は古く、かつて捕鯨の行われた鮫町でのクジラ事件は有名な話」と記したはがきをいただいた。1911年、「クジラ解体場から海に流れた鯨血や鯨油を理由に、魚や貝などに悪い影響が出ている」と、地元漁民が捕鯨会社を襲撃。解体場に火を付けるなどクジラ騒動が発生した。2人が死亡、警官を含め31人が負傷した。このことを市民は今も記憶する。
その鮫町の西宮神社には「八戸太郎くじら石」が祭られている。神の使いでイワシの大漁をもたらしたクジラが力尽きて大きな石になったという言い伝えだ。
このほか同市白銀の三嶋神社近くには鯨橋跡の標柱がある。かつて1681年に座礁したマッコウクジラ36頭の鯨骨で橋が架けられていた。
「捕鯨の村」と言われた南郷
市の中心部から南南西に約17キロ。かつて「捕鯨の村」と言われた山あいの南郷には今も捕鯨砲が展示されている。
同地が多くの雪に覆われる冬、南半球は夏だ。出稼ぎで1946年から数十人が大洋漁業(株)(当時)の船団などで南極海捕鯨に従事した。
クジラ汁で話題を創出
「道の駅なんごう」にある「和風レストランぱすとらる」では、「捕鯨の村として知られる南郷らしい食べものを」と、今年から「くじら汁」を提供している。一日10食限定。評判は上々。「おいしい」「懐かしい」と声が聞かれる。
南郷歴史民俗資料館(下村恒彦館長)では2021年、「特別展 クジラの村-山から海へ出た男たち」を企画。日本鯨類研究所や外房捕鯨(株)などが協力した。下村館長と元捕鯨従事者を訪ねたが消息は不明だった。
現在も同資料館では、シロナガスクジラなどのひげに船などの絵を描いた「スクリムショー」や、クジラひげを使った帆船模型などを収蔵する。
愛されていた鯨肉
青森市の製パンメーカー・(株)工藤パンではかつて鯨肉のカツサンドを販売。「当時の資料などはないが、モラトリアムによる規制前は鯨肉を使っていた。現在は国産のチキンカツを使用している」と同社。
県内スーパーのチラシに5日、刺身用鯨肉が掲載された。今も愛され人気があると確信した。
【豆知識】
「化石はちのへクジラ」
八戸では360万年前の地層から「化石はちのへクジラ」が見つかり、八戸市視聴覚センター児童科学館で展示している。
同館にはツチクジラの全身骨格もある。1995年10月、2001年3月には報告書を発行。
発掘当初はナガスクジラの仲間と考えられた化石クジラは、コククジラの仲間と考えられるようになった。
また、化石クジラの生きていた時代は現在とほぼ同じかやや冷たい海だったことも分かっている。