耳ヨリくじら情報
「呼子の朝市」で有名な佐賀県唐津市呼子町、呼子と言えばイカが有名ですがイカだけではなくクジラにとてもゆかりのある場所だという事をご存じでしょうか。呼子を語るうえで必要不可欠な捕鯨文化についてご紹介します。
呼子朝市通り先にある「鯨組主中尾家屋敷」は江戸時代から明治初頭にかけて“中尾甚六”の名前を受継ぎながら8代170年間にわたり呼子を拠点に捕鯨業を営んでいた中尾家の屋敷として建てられました。この屋敷は、天保11年(1840年)に江戸時代の捕鯨の様子を記した「小川嶋鯨鯢合戦(おがわしまげいげいがっせん)※1 」にも描かれ、当時の姿を残した豪壮な造りで、、佐賀県の重要文化財に指定されています。現在は建物の他に捕鯨業時代の資料等が展示されていて見応え十分な施設となっています。
※1 小川嶋鯨鯢合戦…天保11年(1840年)に描かれた図説。佐賀県小川島で行われた捕鯨の様子を人とクジラとの合戦に見立てて描かれたもの
「中尾様には及びもないがせめてなりたや殿様に」と謳われるほどの巨万の富を築いた鯨組主中尾家
中尾家は18世紀初めより鯨組の経営を始め、明治初期まで捕鯨業を営み、地元では藩主をも凌ぐ勢いで繁栄を極め、「中尾様には及びもないがせめてなりたや殿様に」と歌った俗謡があるほどでした。
「小川嶋鯨鯢合戦」の中でも広い敷地が描かれ、当時は800坪ほどの規模でしたが、現在では500坪ほどで、中尾宅と描かれた主屋(おもや)のみが残されていますが、天井の一番高いところは9メートル以上もあり、広々とした贅沢な造りで当時の繁栄が偲ばれます。
主屋には要人をもてなす質素ながらも格式と風格をそなえた座敷があり(写真左)、“見世”という部屋(写真右)は当時の鯨組幹部が集まり会議などの他、クジラ漁の出陣式などを行っていたと言われています。
最盛期の中尾組の従業員は800人から1000人ほどで、呼子港から北へ7キロほど行った小川島で4ヶ月間(12月下旬~4月末)操業し、網掛突取法を用いて主にセミクジラ等を捕獲していました。クジラ専用の大きな網をクジラの通り道と思しき場所に3枚はって、勢子舟の船べりをたたいてクジラを網に追い込み、からまって泳ぎが鈍ったところで刃刺し(はざし)※2 が銛でクジラを突き、弱って身動きがとれなくなってから、クジラにのぼり“鼻切”※3 を行い、ロープをとおして船に固定して持双舟といわれる輸送専門の船で島へ運んでいたそうです。島に戻ってから解体、加工、販売を行ったといわれています。
※2 刃刺し…銛を打つ役割の人のこと
※3 鼻切(はなきり)…クジラの弱点である鼻孔を専用の包丁で切ること
鯨は、肉、皮脂、内臓等が利用され、近隣では生や湯がいて、遠方へは塩蔵され、北前船でも運ばれ、広く販売されていました。西海(九州地方)での食利用は生月の益冨組が記した「鯨肉調味方」が有名で、約70の鯨の部位の調理方法が記されています。食用とならない部分は主に鯨油の採油に利用され、骨は砕いた後煮込んで油をとり、残った骨は骨粉として畑にまいて肥料として利用されました。鯨油は主に稲作の防虫剤として使われたため、主に藩が買い上げる重要な商品でした。このように、クジラは余すことなく全て使用されていました。
捕鯨のシーズンが終わると一頭一頭に戒名をつけて丁寧に供養をしていたと言われ、今でも呼子町には鯨鯢供養塔が残っています。呼子にとってクジラがとても大切なものだったことがわかる貴重な史跡です。
中尾組は3代目の最盛期には現在の価値で総額45億円ほど売り上げていたと言われ、藩に収める税も莫大であったことから、唐津藩の財政に多大な貢献をしました。中尾家文書(写真上)は、中尾家の唐津藩に対する数々の功績に対し「士分格に取り立てさらに今後の中尾家の活動に対しても便宜を図る」という当時の藩主からの言葉を伝えた書状です。
その後、不漁による捕鯨業の衰退により中尾家は、明治初期に捕鯨業から撤退しました。屋敷も中尾家から造り酒屋の山下家の手に渡り、平成15年までは住居として利用されていましたが、その後に唐津市の所有となり現在に至ります。
呼子と鯨の歴史を知ることができる貴重な展示がある資料館
屋敷の隣には勘定場跡に建てられた建物(写真上)があり、こちらで呼子と捕鯨の歴史などの資料が展示されています。
中に入ると、まずクジラと呼子の関係を説明する大きな展示があります。呼子の町の一大産業であった捕鯨業についてイラストと一緒に説明されています。
館内には漁で使用する道具や標本なども展示されており、中には実際に触って重さを体感できるもの(写真右 釼)もあります。
※4 釼(けん)…捕鯨を行う際の銛(もり)の一種。
捕鯨について小川嶋鯨鯢合戦の絵を交えて映像や道具をみながら見ることができる展示や当時の中尾家の前作事場の模型やクジラの食文化についての展示など、この土地で大切に受け継がれてきた捕鯨文化が分かりやすく説明展示されているのでついつい見入ってしまいます。
館内にはくじらタウンでも紹介した唐津市の秋のお祭り「呼子くんち」で使われる『鯨の山車』が展示され、間近でじっくり見ることができるので必見です。ちなみに長崎の秋季大祭の「長崎くんち」の中の万屋町の「鯨の潮吹き」は安永7(1778)年に五島方面に出漁して長崎に訪れていた中尾甚六らの勧めが起源とされています。
希望した方には、「呼子捕鯨史跡絵図」という史跡の一覧が地図になった巻物をもらう事ができます。地図をみながら呼子の町の散策ができるので是非手に入れてみてくださいね。
屋敷の前に広がる呼子湾ではクジラやイカの形をしたかわいい遊覧船に乗ることができます。
呼子の海の海中散歩や、自然を満喫できる洞窟体験などができます。
佐賀に訪れる際は呼子で今なお守られ続ける、クジラの歴史に触れてみてはいかがでしょうか。
鯨組主中尾家屋敷
住所:佐賀県唐津市呼子町呼子3750-3
営業時間:8:45~17:00(入館は16:30まで)
定休日:水曜日(水曜日は祝日の場合翌日)
12/29~1/3
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