品川沖にクジラが迷い込んできた『寛政の鯨』とは 東京・品川にあるクジラスポットをご紹介! | 耳ヨリくじら情報 | くじらタウン

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2023.09.27

品川沖にクジラが迷い込んできた『寛政の鯨』とは 東京・品川にあるクジラスポットをご紹介!

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東京都品川区にある利田神社(かがたじんじゃ)。ここの境内の一角に鯨塚(鯨碑)があるのをご存じでしょうか。

今回は都心にひっそりたたずむ鯨塚や品川区周辺のクジラをモチーフにしたスポットをご紹介!

江戸時代のクジラが眠る品川鯨塚(鯨碑)

利田神社の鯨塚とは


江戸時代に品川沖に現れ、天王洲へと追い込んで捕獲されたクジラの頭部を利田神社に埋め、その上に立てられた供養塔です。

この鯨は、江戸を驚かせた三大動物(※1)の一つ「寛政の鯨」と言われ、当時の11代将軍徳川家斉によって浜御殿(※2)で上覧され、江戸時代の俳人の谷素外の俳句にも詠まれています。現在、東京に現存する唯一の鯨碑として今も多くの人々に愛される場所です。

捕獲したクジラの頭部を埋葬したと伝えられる鯨塚は、高さ85cm、幅158cm、厚さ32cmの自然石で、一見すると富士のような形をしています。

鯨塚の正面には谷素外の俳句「江戸に鳴る 冥加やたかし なつ鯨」が刻まれています。

※1 江戸を驚かせた三大動物・・・「寛政の鯨(クジラ)」(品川)、「享保の象(ゾウ)」(中野区・朝日が丘公園が象を飼育した象小屋跡)、「文政の駱駝(ラクダ)」(両国広小路で見世物興行)、クジラ以外は長崎からわざわざ陸路で江戸まで来たもの。
※2 浜御殿 ・・・ 現在の浜離宮恩賜公園の中にあった御殿

羽田沖漂着鯨の図

江戸の町を盛り上げた寛政の鯨とは

今から200年以上も前の寛政10年(1798年)5月1日、前の日の夜からの暴風雨により、一頭の大きなクジラが品川沖に迷い込んだそうです。近くの漁師たちは本物のクジラを見るのは初めてでしたが、みんなで船を出して命がけでクジラを天王洲の方に追い込んだそうです。驚いたクジラは洲を飛び越えて逃げようとして跳ねたところ、逆に浅瀬に乗り上げて動けなくなってしまったそうです。
捕まえたクジラは、長さ九間(約16メートル)、高さが七尺(約2メートル)もあり漁師たちはその大きさに驚いたそうです。この「品川沖で生きたクジラを捕まえた。」という知らせが江戸中に広がり、江戸の町だけではなく近くの村からもクジラを見ようと人が押し寄せたと言われています。
この噂はすぐに江戸城に伝わり、5月3日に漁師たちはクジラに縄をつけて船で浜御殿の沖まで引いていきました。クジラをみた第11代将軍の徳川家斉は、時がたつのを忘れてクジラを眺め、とても喜んだそうです。
“将軍様御上覧の鯨”として人気がますます高まり、クジラの絵の手拭いやクジラにちなんだ食べ物が売り出され、滝沢馬琴の「鯨魚尺品革羽織」や十返舎一九の「大鯨豊年貢」などの本も作られました。
また、「品川の沖にとまりしせみ鯨みなみんみんと飛んでくるなり」という狂歌(※3)が作られて流行したそうです。
その後クジラは脂をとり、頭部の骨を埋めた場所が現在の鯨塚(鯨碑)となっています。
ちなみに、品川沖には文政5年(1822年)と嘉永4年(1841年)にもクジラが現れたという記録が残されています。

※3 狂歌 ・・・ 江戸時代に流行った、しゃれや皮肉を織り交ぜた短歌

品川周辺のクジラスポット

「寛政の鯨」にゆかりのある品川には他にもクジラをモチーフにしたものがたくさんあります。

セミクジラのモニュメント

クジラの遊具

■品川浦公園

利田神社の鯨塚の横にあるこちらの公園にはクジラモニュメントや可愛らしいクジラの遊具があります。
住所:東京都品川区東品川1-7-17

クジラのモニュメント
汽車の遊具

■居木橋公園

目黒川沿いにある通称『きしゃぽっぽ公園』大きな汽車やかっこいいバイク型遊具がある中にクジラのモニュメントがあります。
住所:東京都品川区大崎1-14-4

■東品川海上公園

全長15メートルを超えるクジラ型の遊具があり、クジラの中に入ると迷路のようになっていたり、滑り台があったりします。
子どもたちが色々な想像をふくらませながら遊べる場所となっています。
住所:東京都品川区東品川3―9−21

■目黒川水門

東品川海上公園にある目黒川水門には公募で選ばれた絵が描かれています(2008年完成)。水門の南側には、作品名「しながわ鯨」が描かれています。寛政の鯨がモチーフとなり、波は「しながわ」という文字でデザインされているそうです。
住所:東京都品川区東品川1-39〜2-6

他にもクジラモチーフのスポットがあるかも知れません、
お休みの日に品川にクジラ探しに出かけてみてはいかがでしょうか。

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