耳ヨリくじら情報
クジラの出没によって街が色めき立つことはあれど、多くの場合、時の流れとともに存在を忘れられてしまいます。その一方で、悠久の眠りについて200万年後に発見されて以降、市民から愛されて止まないクジラも存在します。学名をEschrichtius akishimaensis(エスクリクティウス アキシマエンシス)、通称・アキシマクジラが見つかった場所は、東京都多摩地域中部に位置する昭島市。最高地点の海抜が170.72mのエリアで、どうしてクジラが眠っていたのか紐解いていきましょう。
アキシマクジラは人類の大先輩
アキシマクジラが永遠の眠りについた200万年前はどんな時代かというと、私たち人類が誕生するずっと前の旧石器時代。人類の祖先であるホモ・ハビリスなどのヒト属(ホモ属)が石器を使用し始めた時代とされています。ホモ・ハビリスは、サルからヒトに進化する過程の中間段階に相当する「猿人」と定義されていますが、そこから、ジャワ原人や北京原人などの「原人」、ネアンデルタール人で知られる「旧人類」を経て、私たち現代人と同じグループにカテゴライズされる「新人類」が誕生したのはわずか20万年前のこと。つまり、アキシマクジラは私たち人類の大・大・大先輩なのです。
化石採取のために河川敷を訪れていた親子によって発見された
200万年前の昭島市は、なんと半分が陸、半分が海。つまり、アキシマクジラが永遠の眠りについた地は、当時の海岸線近くの浅瀬だったということになります。しかし、発見された当時の海抜は前述の通り。2023年現在とほぼ同じ地形が形成されていた1961(昭和36)年8月20日に、地元の小学校教諭とその長男によって発見されています。発見場所は多摩川河川敷。化石採取と飯盒炊さんを楽しむためにこの地を訪れていた親子は、砂利採掘によって露出した河原の地表から露出している化石の先端を発見するや、数日間にわたって現場に通い、専門書を頼りに自分たちなりに解明を進めていきます。
200万年の時を経ても9割5分の部位が残っていた
しかし、化石の正体特定には至らず、教育委員会職員と現場を確認後、専門家を招集して発掘を開始。ほどなくして考古学教授が「おそらく100万年以上前を生きたクジラの骨ではないか。国立科学博物館に鑑定を依頼しよう」との見解を述べたことによって、メディアの報道も過熱し始めます。その後、発掘作業が完了したのは9月3日のこと。一部、破損や欠損がありつつも9割5分の部位が見つかったものの、長い年月の眠りから起こされた化石は非常に脆く、一年をかけ復元作業が慎重に進められました。
3つの奇跡が重ならなければ、アキシマクジラは存在し得なかった
では、なぜ200万年もの時を経てもそこまで多くの部位が残っていたかというと、主に3つの理由があるとされています。1つは、浅瀬で息絶えたため、海面に浮かび上がることなく早期に堆積物に埋まったこと。そして、地殻変動による分断や温度、圧力の影響を受けなかったこと。残る1つは、河川敷に姿を現してから発見されるまでの間が非常に短かったことです。大雨が降れば川の浸食により化石は流出し消失していたはずです。
発掘から50年以上、研究が進む兆しがなかった
さて、発掘から3年後の1964(昭和39)年には、当初の目論見通り、研究のため国立科学博物館・新宿分館で保管されることとなったアキシマクジラですが、当時はまだインターネットがないうえ、全長13.5mもの骨格を広げるのに十分なスペースもなかったなどことから、思うように研究が進みませんでした。しかも、保管から約50年経った2012(平成24)年、なんと「新宿分館移転のためアキシマクジラを昭島市に返還したい」との打診があったのです。
発掘から51年目に訪れた「第4の奇跡」
しかし、そうなっては昭島には研究できる人や施設がない為、ここまでの発掘作業や研究が振り出しに戻ってしまいます。奇跡的に9割5分もの部位が残った状態で発見されたというのに、何の研究もなされないままではアキシマクジラも浮かばれません。そんな残念な事態だけは避けたいと、国立科学博物館と昭島市が群馬県立自然史博物館 名誉館長 長谷川善和(よしかず)さんに相談したところ、「うちの木村に研究させよう」と、同館 学芸員の木村敏之さんを指名してくれたのです。これに驚いたのは当の本人。なぜかというと、木村さんは18歳のときにアキシマクジラの存在を知って以降、ずっとこのクジラを研究したいと夢見ていたというのです。このエピソードを聞いた昭島市職員は、「第4の奇跡」と大喜び。早速、研究に着手してもらうこととなりました。
2018年、アキシマクジラが新種のクジラであることが正式に発表された
もちろん、念願が叶った木村さんは研究に没頭。そして5年後の2018(平成30)年1月1日、遂にアキシマクジラが新種のクジラであることが正式に発表されることとなったのです。発表の舞台は日本古生物学会の学芸誌。「これまで世界で知られていなかったコククジラ属の新種」とする論文には、冒頭で紹介した「Eschrichtius akishimaensis(エスクリクティウス アキシマエンシス)」の学名も掲載されていました。
アキシマクジラがようやく光った感動が今も忘れられない
論文発表後の昭島はそれまで以上に大盛り上がり。昭島市教育委員会の一員で、アキシマエンシス管理課の文化財係を務める伊藤雅彦さんは、「50年間研究されなかったアキシマエンシスがやっと輝いた瞬間でした」と当時を振り返ります。まるで奇跡の流星が訪れたかのような感動を表現すべく、夜空を彩る星を想起させるロゴをデザインしたのも伊藤さん自身。「やっと放たれた光の輝きを絶やさないよう、これからもアキシマクジラの物語を継承していくことが、私たちの使命だと思っています」と熱い思いを言葉にしてくれました。
現在アキシマクジラの化石標本は、昭島市にある「アキシマエンシス(教育福祉総合センター)」のエントランスに原寸大の全身骨格標本のレプリカを吊って展示しているほか、生体復元模型や実物化石(頭蓋はレプリカ)を常設展示しています。頭蓋(頭骨と鼻骨)は群馬県立自然史博物館で常設展示されています。
昭島市民は子どもであっても、アキシマクジラの正式な学名を口ずさめる
その言葉通り、化石発見以降、「昭島市民くじら祭」を開催したり、アキシマクジラをデザインしたマンホールで市内の道路を彩ったり街を盛り上げていた市民たちは、現在ではさらに、アキシマクジラの物語を後世に伝えていくことにも力を入れています。まず、小学校の課外授業でアキシマクジラについて学ぶ機会があるため、小さな子どもでも「エスクリクティウス アキシマエンシス」をスラスラと口ずさめるのだとか。 また、市内のいたるところでマンホールの蓋や案内板などクジラモチーフのオブジェにたくさん出逢えるのはもちろん、和菓子店・洋菓子店ではクジラをかたどったオリジナルスイーツを見つけることもできるので、週末や夏休みを利用してぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。
■アキシマエンシス
住所:〒196-0012 東京都昭島市つつじが丘3-3-15
電話:042-543-1523
URL:https://www.akishimaensis.jp/
■群馬県立自然史博物館
住所:〒370-2345 群馬県富岡市上黒岩1674-1
電話:0274-60-1200
URL:http://www.gmnh.pref.gunma.jp/