耳ヨリくじら情報
歴史紡ぐ道東の二大基地
官民で文化・鯨食を普及
北海道の東部、太平洋側の釧路市とオホーツク海に面す網走市は、いずれも古くから捕鯨が行われ、鯨食文化が育ってきたクジラと縁(ゆかり)の深い町だ。現在も沿岸小型捕鯨の基地として機能を発揮し、市と民間事業者で組織する「くじら協議会」により捕鯨や鯨食に関する啓発が行われている。
釧路では第二次世界大戦中、食糧難の対策として沿岸でのミンククジラの捕獲が開始。1944年、51年には大手捕鯨会社の事業場が相次いで設立され、捕鯨が本格化した。主にマッコウクジラやイワシクジラが捕獲され、52年から61年の10年間は沿岸捕獲頭数が日本一に。この間、市内飲食店でクジラの刺身が提供されたり、学校給食でも鯨肉のカレーが登場したりするなど、鯨食が広がった。
その後、大手捕鯨会社の撤退により釧路での捕鯨の隆盛は終焉(えん)を迎えたものの、2002年に釧路沖で調査捕鯨が始まったことで、捕鯨の町として再発進。19年の日本の商業捕鯨再開に際しては、沿岸捕鯨船の出港式および初水揚げが行われ、歴史的な舞台となった。以後、釧路沖では夏から秋にかけて小型捕鯨業者が操業、昨年は7月にミンククジラ2頭が捕獲され、釧路に水揚げされている。
居酒屋の重要食材に
JF釧路市漁協の山田耕二参事によると、水揚げされたミンククジラは解体後、全国の消費地市場に出荷。そこから一般に流通しており、釧路でもスーパーや鮮魚店、飲食店などに広く出回る。市内の観光名所・和商市場に入る「木村鮮魚店」は鯨肉の扱いで有名で、漁期中は赤肉をはじめ、ウネス、皮、舌などを幅広く販売する。店長の小林勝行さんは「クジラはサイズや性別によって肉質に差があるので、仕入れの際は(捕獲の)情報が大事になる」と目利きの重要性を強調。お勧めの部位は希少な尾肉で、「世の中にある食べ物の中で最強(のおいしさ)」と讃える。
釧路の繁華街に位置する居酒屋「〇楽」は漁期以外でも周年、クジラ料理が楽しめる店の一つだ。店主の村岡てい子さんによると、かつて解体場の関係者が来店していたのが縁で、1996年の創業以来、一貫して鯨肉を扱っているという。お勧めはハツ(心臓)の刺身で、ゴマ油と塩で食べる。ほかにも赤肉の刺身や尾羽毛の酢味噌和え、竜田揚げなどをラインアップ。現在、二代目の浩弥さんと切り盛りしているが、てい子さんは「鯨肉は当店にとって重要な食材。これからもずっと扱っていきたい」と話している。
教育・PR続け継承
釧路市と釧路市漁協、釧路魚市場㈱で構成する「釧路くじら協議会」は捕鯨や鯨肉の普及に向け、さまざまな活動を行っている。2010年からは毎年、「釧路くじら祭り」を開催。期間中に市内飲食店が一斉にクジラ料理を提供するイベントで、昨年は35店が参加し、多彩なクジラ料理を販売した。また市内の小中学校、義務教育学校を対象にクジラの給食提供支援事業(ふるさと給食)を実施。昨年はミンククジラの肉団子が入った「味噌ちゃんこ汁」などが41校(約1万1200食分)に提供された。
今後の鯨肉普及について釧路市漁協の山田参事は「次の世代への教育やPRを継続していくことが大事」と指摘。クジラの資源や栄養素なども含めてアピールし、伝えていくことが重要との考えを示している。
網走では1915年に近代捕鯨がスタート。最盛期の50年代には7社の捕鯨会社が網走を拠点に操業し、ナガスクジラやザトウクジラを捕獲した。商業捕鯨モラトリアム措置導入後は小型捕鯨会社が規制対象外のツチクジラを捕獲、捕鯨の息吹をつないだ。2020年にオホーツク海沖でも商業捕鯨が再開。21年はミンククジラ18頭、22年は同じく25頭が捕獲され、網走で解体・加工されており、国内最北端の捕鯨基地として新たな歴史を刻んでいる。
生肉提供で魅力再発見
網走市と小型捕鯨業者2社で組織する「網走くじら協議会」では、こうした捕鯨の歴史や鯨食の伝承・普及を目的に、1993年から市内の学校給食にクジラを提供する取り組みを行っている。2021年度まで計22回を数え、今年度も今年2月中旬に実施予定だ。21年度は市内15の小中学校向けにミンククジラの赤肉約200㌔(3000人分)を提供。竜田揚げに調理され、子供たちや教職員に供された。
一部の小学校では給食に合わせてクジラに関する授業も実施。クジラの生態、捕鯨の歴史や体験談などを伝えている。
鯨食文化の歴史がある網走では、クジラを提供する飲食店も多数存在する。特に市内の繁華街に位置する居酒屋「喜八」は創業以降およそ30年間、クジラ料理を扱い、現在もクジラの刺身の盛り合わせやベーコン、ユッケなどを周年提供している。オーナーの鈴木秀幸さんは「クジラ料理は当店の目玉の一つ。最近では若い観光客がジビエ感覚で食べている」と説明。商業捕鯨が再開され、漁期中はミンククジラの生肉が提供できるようになったことは「(鯨肉の)魅力の再発見につながる」と指摘し、今後もオホーツクの名物食材の一つとしてクジラを扱っていく意向を示している。
網走川の河川敷には、かつての捕鯨船「第一安丸」(45㌧)の一部がモニュメントとして残されている。「第一安丸」は1966年に京都で建造、73年から網走沖でクジラを追い、商業捕鯨モラトリアム導入までの14年間活躍した。以後、河川敷に置かれ、再登板の時を待ち続けたが、30年余りの月日が経って老朽化が進行。2018年に解体され、翌年、捕鯨砲、スクリュー、錨、操舵輪のみが保存処理されて市民らに公開された。同船の活躍や網走での捕鯨の歴史を後世に伝える、貴重な資料となっている。