耳ヨリくじら情報
九州の北西端に位置する、長崎県平戸市生月町にある博物館「島の館」。
生月大橋を渡った先にある海沿いの自然豊かな同館は、捕鯨が栄えていた江戸時代から明治中期にかけて日本最大規模の鯨組、益冨組(ますとみぐみ)の捕鯨の様子を再現したジオラマの展示を始め、かくれキリシタンの信仰、豊かな自然の中で営まれてきた農業や漁業の歴史などを様々な観点から楽しむことができる博物館です。
同館で学芸員として捕鯨の研究をする中園成生(なかぞのしげお)さんに日本の捕鯨文化についてお話を伺いました。
“クジラ”と“人”が織り成す物語性
―中園さんが古式捕鯨について研究していく中で驚いたことを教えてください。
「まずは、日本の古式捕鯨は、網を掛けてモリで突くというオリジナルのスタイルを取っています。確かに産業として行っていますが、利益だけを追求して動いているシステムではないのではないかと研究者は考えています。当時の人々は、大勢が協力し、大きなクジラに対峙して捕獲することに、いくさのような物語性を感じていました。そのため、クジラとの対峙の様子を絵巻物へ記録として残したのだと思います。実は古式捕鯨より前に捕鯨を行っていた北海道のオホーツク人も、骨製の針入れに捕鯨の様子を刻んで残したりしています。このようにクジラと人間が対峙する様子を残した資料を見ていると、日本列島の人々は、クジラに対して強い想いを持ってきた事を強く感じます」
「島の館」見どころ!捕鯨の様子を再現した巨大ジオラマ『勇魚とり(いさなとり)』
―こちらは江戸時代の捕鯨の様子を再現しているのでしょうか?船の様子や旗の模様などとても細かいところまで描かれていますね!
「この模型の完成には足かけ2年…正味1年はかかりました。一番苦労したのは、船や人物の細かい配置ですね。クジラの捕り方には時代や地域ごとのバリエーションがあるので、あくまで江戸時代後期の生月島のイメージで紹介しています。当時、九州では網掛突取法が主流でした。網掛突取法はクジラを捕獲する中心的な漁具・技術ではなく、あくまでその後の突取の効率を上げるための補助的な漁具・技術なので、その辺を誤解されないように表現することが難しかったですね」
こちらの巨大ジオラマ「勇魚とり」は、生月島沖での捕鯨の様子を8分の1のサイズで再現されたもので、当時の捕鯨の様子を見ることができます。ぜひ足を運んで確かめてみてくださいね♪
捕鯨も、クジラの在り方も、地域や国で異なる
―クジラの捕り方や文化は地域ごとに違うとのことですが、国内の話だけではなく他国にもなるとやはり何か大きな違いがあったのでしょうか?
「例えばアメリカの洋式突取法では捕ったクジラの皮下脂肪など、手っ取り早く加工できる部分だけを利用して本船の上で鯨油を製造しましたが、それ以外は捨てて、新しい漁場に移動するというスタイルで、世界中の海で操業しました。日本の古式捕鯨は日本列島の沿岸に来たクジラを取りましたが、食用も含めてクジラの使えるところは全部、様々な製品を作るのに使っていて、『クジラは捨てるところがない』と言われてきました。資源の無駄遣いが多いか少ないかが、日本とアメリカでの捕鯨の異なる点だと思います。捕獲する鯨の種類については、アメリカの捕鯨はマッコウクジラとセミクジラで、日本では江戸時代中頃まではセミクジラが8割を占めていましたが、後期に差し掛かるとザトウクジラが多くなっていったようです」
鯨料理はかくれキリシタンにも好まれていた…!
―江戸時代によく食べられていた鯨料理はどんなものがあったのでしょうか?
「“湯がきもん”があります。皮下脂肪の部分である皮身を薄くスライスしたものを、熱湯で茹でていただくのですが、生月では刺身のように醤油で食べられていて、特に夏、魚の刺身が手に入らない時期によく食べられていました。実は、かくれキリシタンの行事にも、湯がきもんや、皮鯨入りのなますなどがよく出ていました。九州の各地では、クジラの皮身や赤身を長期保存するために塩漬した塩クジラが昔からよく食べられていました。どちらかと言うと、古い時代には皮身の方が好まれていて、赤身の塩クジラがよく食べられるようになったのは、近代に入ってからでした。炭坑や工場で働く人達が好んで食べたのです。特に、かつてクジラを取っていた生月島のような場所には、さまざまな鯨料理が今も残っています」
江戸時代の捕鯨を盛り上げた人々
―生月を本拠地としていた日本最大級の鯨組として“益冨家(ますとみけ)”の存在がありますが、益冨家の人々について教えてください。
「おそらくこの島出身の人だろうとは思っています。益冨組の経営については解明されていない点が多く、現在進行形で研究中なんです。でも捕鯨業の頂点に立つ団体なので、“個人の利益が一番”という考えの人たちではなかったと思います。地域がどうしたら持続的に発展できるかを考えていける人たち。そう周りからも思われて、期待されていた存在だと思います」
日本はこれからクジラとどう向き合っていけばいいのか?
―最後に、江戸時代は捕鯨が盛り上がった時代だと思うのですが、今後クジラは日本や世界にとってどのような存在になっていけば良いと思われますか?
「持続的な利用が保たれていけば良いなと思います。あまり日本という枠組みにこだわらずに考えていくのがベストですね。例えば、様々な意見があるけれど地方によって食べる、食べないは自由に。お互い押し付け合うことはせず、それぞれの意見をみんなが認めあえば良い。あとは資本主義ベースの利益追求だけに向かわないことも大切ですね。資本主義の根底にあるのは個人の欲求なので、それを制限しなければ環境を維持して持続的な利用を行うのは難しいと思います。まずは今日の子ども達(※)のように、一から学んでいくことが大切です。地道だけど、その上で彼らがどう考えるのかということが、今後のクジラと人間の関係につながるのではないでしょうか」
(※インタビュー当日、同館では子どもたち向けにクジラのことを知るイベントが開催されました。イベントの詳細はこちら
■中園成生(なかぞのしげお)
1963年生まれ。熊本大学文学部卒業(民俗学)。
呼子町教育委員会を経て、長崎県平戸市生月町博物館・島の館にて学芸員を務める。主な研究分野は、捕鯨史・かくれキリシタン信仰。
著書に「くじら取りの系譜」「かくれキリシタンの聖画」他、共著に「鯨取り絵物語」。
■島の館
住所:長崎県平戸市生月町南免4289-1
電話番号:0950-53-3000
FAX:0950-53-3032
開館時間:9:00-17:00 最終入館16:30
休館日:年始(1日、2日)※館内メンテナンスのため臨時休館あり
※ご来館の際には営業時間など最新の情報をご確認ください。