耳ヨリくじら情報
▶連載 ⑦
クジラの町を誇りに「基地式捕鯨の町㊤」
地元中学生に職業体験も
石巻市中心部から鮎川への道は、つづら折りの山道が続く。山を上がり、坂を下るたびに小さな浜が広がる。鮎川浜への最後の下り坂で「ようこそ牡鹿へ」というクジラのモニュメントが出迎える。
かつての鮎川浜には多くの店や住宅があった。現在はぽつりぽつりと建物が立つだけだ。東日本大震災から10年以上が経過したが、道路工事など復興整備がようやく始まったばかりだ。
復興の象徴「ホエールタウンおしか」
2020年春、金華山に行く船着き場の東側、防潮堤の上に観光拠点施設「ホエールタウンおしか」が完成。港を見下ろすように南に向けて細長く施設が並ぶ。北から順に、観光物産交流施設「Cottu(こっつ)」、半島の自然や自然とともに生きる人々の暮らしを紹介する「牡鹿半島ビジターセンター」、クジラについて学べる「おしかホエールランド」。
さらにその南、高台から下った場所にかつて南極海や金華山沖で操業した捕鯨船・第16利丸(760トン)が21年11月公開展示された。
観光物産交流施設「Cottu」では飲食ができる。「海鮮レストラン なぎさ」「黄金寿司」「お食事処 プラザサイトウ」の3店ほか、外房捕鯨(株)の直売所「くじら家」、印鑑や根付けストラップなど販売の「鯨歯工芸 千々松商店」が入店する。
飲食の3店はいずれもクジラ料理を提供。このうちプラザサイトウ(齋藤公一店主)は「鯨赤白刺身定食」(1650円)、「鯨焼定食」(1100円)などを提供。赤白刺身は、赤肉の特有のうま味と本皮の脂の甘さが同時に味わえる。
齋藤店主はクジラ関連の肥料会社に勤める父のもとで育った。「親が鯨肉を食べれば、小さい子供も自然と口にした」。最近は仙台に住むという娘さんに鯨肉を送る。
水揚げ次第で生の鯨肉も提供。「かつては南極海の冷凍鯨肉を使っていたが、生のミンクが地元で水揚げされるようになり、調理していても色変わりなどなく非常にいい」と話す齋藤店主。入荷が不定期になる生肉特有の事情を差し引いても生の鯨肉を高く評価する。
新型コロナウイルス感染拡大で一昨年5月には一時的に店を閉めた。その後は定休日を除き営業。同施設に入る黄金寿司、なぎさとも月に数回情報共有。人数が多く1店で対応しきれない場合の調整など助け合う。
子供たちにもクジラの味を
外房捕鯨鮎川事業所(大壁孝之所長)では昨年も地元・牡鹿中学1年生の全5人が職場体験をした。食文化を理解し、進路などに役立ててもらおうと、震災の年から実施されている。生徒はツチクジラの皮の計量パック作業や、ナガスクジラ本皮でクジラ汁、ツチクジラ赤肉で竜田揚げを料理。素材は、子供が脂のきつい鯨肉でおなかを壊さないようにとナガスクジラの本皮、揚げても軟らかくおいしいツチクジラの赤肉を使う。
震災後、駐車場のくぎ拾いをしていた中学生を見た大壁所長。「このままではいけない」と職場体験を申し入れた。生徒の数は減ったが職場体験はその後も継続。同社に就職した生徒もいる。
「子供たちには基地式捕鯨船4隻がよりどころとする、日本一のクジラの町を誇りにしてもらいたい」と思っている。
「Cottu」にある同社直営店では、各種鯨肉のほか、缶詰、鯨アイスクリームも販売する。同店限定販売のアイスクリーム(各400円)は、味噌ベースのツチクジラ入り、醤油ベースのミンククジラ入りの2種類。市内の(有)風月堂が製造する。ミンククジラ入りを食べてみると、チョコチップのような見た目の鯨肉。味わいはほんのりとクジラ味。
震災後に竜田揚げ
震災の年のクリスマス。震災前スーパーを営業していた武田千春さんは「町の人が集える場所を」と、スーパー隣接でカフェ兼居酒屋「RinCafe(リンカフェ)」を仮設開店。その後、現在の場所に移転した。
カフェで販売する「MO(藻)バーガー」(500円、事前に要予約)は、地元で作られている微細藻(植物プランクトン)入り米粉パンに鯨の竜田揚げ(木の屋石巻水産製)を挟んだ人気商品。口コミなどで購入は広がる。
イベントなどにも積極的に出店。「多い時には鯨の竜田揚げやコロッケは一日200個売れる。とりわけクジラはご当地を代表する食品として発信力が高い」と話す。「震災がなければ忘れられていた町かもしれない」とも。震災後に、全国から多くの若いボランティアが来て地域をつなげ、浜の人と協力してくれている。「来てもらいたいというのが一番だが、これからはインターネット通販なども考える時代」と武田さんは考えている。
豆知識
宮城県北東部、太平洋に向かって南東に突き出す牡鹿半島。その東に浮かぶ金華山の沖合は世界三大漁場の一つ。半島南部にある鮎川浜は、1900年初頭から日本屈指の捕鯨業の基地として栄え、現在も基地式捕鯨船4隻が出入りする全国有数のクジラの町だ。
2005年、石巻地域1市6町合併で新・石巻市(牡鹿地区)になった。1960年代には約1万2000人を数えた人口も震災で半減。現在の牡鹿地区の人口は約2200人。市中心部からの通勤なども多い。西の古式捕鯨の町、和歌山県太地町と並び、東の沿岸捕鯨の町として、世代を超え多くの捕鯨船員を輩出し、日本の捕鯨産業を支えている。
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