耳ヨリくじら情報
東京都・千駄木に店舗を構える『食滋楽(くじら)』は、店名の通り、 「命の薫りを食することで、身体の隅々にまで滋養がいきわたり、心身ともに元気で楽しくなる 」ことを実感させてくれるお店です。
「最近は、生産者のストーリーを伝えることで食材の魅力を語る風潮にありますが、本来、どんなものであれ、その恵みを与えてくれる里海里山の自然、獲っている方や生産者の皆様の思いやご苦労など “風景”があるもの。いただく命の背景にあるものにまで思いを巡らせれば、自ずと心からの『いただきます』『ごちそうさま』の言葉が出てくると思うのです。その中でも鯨はとりわけ大きな生き物だから、そのことがとても実感しやすいのではないでしょうか。」
そう話すのは、同店店主の石川 大(いしかわ はじめ)さん。初めて鯨を食べたのは、物心がついて間もない5歳。「父に晩酌の鯨ベーコンを分けてもらい、一発でその味わい深さに魅了されてしまいました。」その後まずは鯨という生物そのものに対し、そして次第に捕鯨の歴史や鯨の食文化、諸外国との摩擦の問題などに興味を持つように。鯨を捕って食べるという営みを取り戻す(再構築する)ことが、日本人が失いつつある食の在り方、自然とのかかわり方の原点回帰につながり、食糧問題や国際問題、環境問題を改善することに寄与するのでは、いつか必ずそれが必要とされる時代が来るという思いから国立東京水産大学(現 東京海洋大学)に進学。卒業後は、鯨の食品会社に就職したのだそうです。
鯨食品の会社に勤めていた当時は、「もっと多くの人にクジラの魅力を知ってもらうにはどうすればいいか?」を日々考え、料理の考案にも力をいれていたという伊師川さん。しかし、その中で、ある強い違和感を抱き始めます。「スーパーでの鯨ベーコンの試食販売や、早朝の市場に立っての鯨の売り込みを毎月2~3回担当させて頂いたのですが、必ず『鯨は日本の伝統文化!』というキャッチコピーが繰り返し掲げられます。ですが、実際原料に用いられているのは日本の海から遥か遠く離れた南極海でとれた鯨や、アイスランドの外国から輸入した鯨なのです。伝統や文化だ、というのであれば、まずは古くから目の前の日本の海で捕る鯨も評価されるべきではないのか、と。」
そんな折、石川さんの思いを知った方から、人形町の『酒喰洲』という店を紹介されます。「ひそかに、夏の漁期だけ、房総で捕るツチクジラの無凍結生肉を刺身で出す店が、人形町の裏路地にある─」房総のツチクジラは、塩漬けにした肉を天日干しする「タレ(鯨のジャーキーのような感じ)」という伝統的な食材の代名詞。現地であればいざ知らず、東京で生のツチクジラが食べられるとは夢にも思っていなかった石川さんは、無凍結のツチクジラ刺身の圧倒的な美味しさに、それまでの鯨の概念が根本的に覆るような衝撃を受け、「幼いころに惚れ込んだ鯨はこれだ!」と日本の海で捕れる鯨への思いを一層深めていくことになります。
その矢先の2014年、「ICJ(国際司法裁判所)によって、南極海で行われていた調査捕鯨の差し止めを命じる判決が下ります。遠洋で行われる調査捕鯨と沿岸での商業捕鯨の違いがほとんど一般には知られていない中で「クジラを獲ることはいけないことなのでは」という考えが広まり、南極海の調査だけではなく、このままでは沿岸の捕鯨も悪影響を受けてしまう…逆に今こそ、逆に日本の鯨の本当のおいしさが見直される最大のチャンス!と直感した石川さんは、ここで一念発起。日本で唯一となる日本沿岸産の鯨料理専門店「ひみつくじら(のちに食滋楽に改名)」を開店します。
日本で獲れるあらゆるクジラを入荷。無凍結本生・氷室熟成の刺身で食べ比べも楽しめる
『食滋楽』で用いるクジラ肉は、南房総・和田浦を筆頭に、今では和歌山・太地町、宮城・鮎川、北海道・釧路網走と、すべての日本沿岸捕鯨基地から仕入れ、名実ともに「日本の鯨の店」に。
種類豊富なクジラ肉を使った料理の中から、まず紹介させていただくのは刺身(写真上)。無凍結本生・氷室熟成にこだわり、2~3鯨種または2~3部位盛り合わせとして供されます。
写真左上から時計回りに、毎年6月20日から8月31日までの漁期に26頭が捕獲される「房総のツチクジラ」(しかも記念すべき1頭目!)の背中部分、「ツチクジラをミンククジラで巻いたトロ巻き」、太地町をメッカとする「ゴンドウクジラ」(こちらは房総で獲れたもの)。真ん中のピンク色のものが、定置網の混獲で捕れた京都・舞鶴の「ナガスクジラ」です。今回の薬味は、青じその新芽の部分に生姜、にんにくの醤油漬け。店で用いられる野菜は原則すべて、ツチクジラが水揚げされる和田浦近隣の農家さんの完全無化学肥料・完全無農薬産。お醤油は国産大豆と国産天日塩、木桶で仕込まれたものなど、醤油の一滴、塩一粒までこだわり抜いています。
血液が多く色味も濃いツチクジラから、ほんのりピンク色のナガスクジラまでのラインナップは見た目にもかなり差がありますが、味わいもそれぞれに特徴があるのがおもしろいところ。みんなで食べ比べを楽しみながら、「わたしはこれが好き」と話すのも楽しそうですね。また、同店はクジラと相性のいいお酒を幅広くオンリストしているので、一品一品に合ったお酒を教えてもらうのも楽しみのひとつ。刺身に合うものを尋ねたところ、「上望陀(かみもうだ)特別純米 無濾過生原酒」(君津 森酒造様)をすすめてくれました。今年の 生産本数はなんと72本。天日干し自然乾燥米100%使用のお酒は、米のうまみが強く重厚な味わい。のっけからお酒がぐんぐん進みます。
炭にまでこだわる「自家製スモークベーコン炭火焼」は皮つき皮なしの食感の違いも楽しめる
続く2品目は、「自家製スモークベーコン炭火焼」(写真下)をご紹介。クルミとピート(泥炭)で燻製させたミンククジラの畝須(うねす)を焼き上げる炭は、房総の木こりの方が昔ながら土窯で焼き上げるクヌギなどの炭。備長炭のように強烈な火ではなく、柔らかい火で炙るので脂が落ちすぎずジューシーに。「鯨ベーコン」と聞くと、口の中に蘇ってくる味は、“ベーコン”といえども燻製されていないものだという人がほとんどだと思いますが、同店のベーコンはしっかりと燻をかけることで個性的な鯨の脂を、凝縮された旨味に昇華させた至極の一品。お酒との相性も文句なし!
さらに、写真左の3枚が「皮つき」、右の3枚が「皮をむいたもの」で、食感の違いも楽しむことができるのがうれしいところです。
こちらのメニューに合う一杯としてすすめてくれたのは、寺田本家 木桶仕込み 無農薬栽培中生神力生酛 2015熟成」(香取・寺田本家)の炭火熱燗と、スコットランドの6つの島で造られたウイスキーをブレンドした「シックスアイルズ」。スモークチップで燻されているため、木桶の重厚感と生酛づくり複雑で深い味わい、スコッチの樽熟感とピート香が相性ぴったりというわけです。
無添加のウニ、天然物のすじ青のりをクジラ肉でくるりと巻く粋な一皿
続いては、「鯨の炭火ローストのウニ巻」(写真上)。レアにローストしたゴンドウクジラに山と盛られているウニは、岩手県の海女さん漁で捕れる来たムラサキウニのミョウバン不使用のもの。さらにその上には、山口県 栗野川河口で採れる天然すじ青海苔の原藻添えられ、野生の海の薫りたっぷりの一品に。クジラ肉で濃厚ウニをくるりと巻いて口に運ぶと、鯨がむしろ土台となることでウニと海苔が引き立てられた三位一体が口の中に広がります。
マリアージュしたのは、「AFS Fly(アフス・フライ)」(木戸泉酒造)。トンボ(dragonfly)やホタル(firefly)が飛び交う自然豊かな景観を残していきたいという想いを込めて、自然栽培による米作りから酒造りを開始して、人工培養の乳酸菌や酵母を一切添加しない、蔵付天然の微生物だけの山廃酛で仕込んでいるお酒です。生命力いっぱいでみずみずしい酸に満ちたお酒と合わせることによって、食材の力強さもさらに引き立ちます。
さらに、日本で最も古い製法で手づくりされた、国産無農薬の菜種油で揚げた「龍田揚げ」(写真上・左)には、前述の農家さんが、ご自身のお野菜を与えて育てている平飼有精卵で作った自家製マヨネーズを添え、酸が強く油とよく合う「鏡草」(旭日酒造)をマリアージュ。一記事では語りつくせないほど魅力いっぱいのお店です。
店内の壁面や、捕鯨に携わる現場の皆様へのメッセージを書ける自由帳には、世代や国境を越えて、有名人だけではなく、あらゆる年齢や分野の方々、様々な国のメッセージが並んでおり愛されているお店だということもよくわかります。「ヨーロッパ方面の方々は特に、“クジラにはテロワールを感じる”とおっしゃってくださいます」と教えてくれた伊師川さん。今後も、日本に脈々と受け継がれている食文化を大切にしながら、「命をいただくこと」を改めて考えさせてくれるお店であり続けることでしょう。
【食滋楽(くじら / 旧店名ひみつくじら)】
住所:東京都文京区根津1-27-7
電話番号:03-5834-7157
営業時間:18:00開店 24:00閉店
定休日:日曜(貸切特別コースに限り受付可) ★コース料理は予約制