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『JAMSTEC(国立研究開発法人海洋研究開発機構)』上席研究員の藤原義弘さんに、海の生き物の生態や、彼らが暮らす環境について伺うインタビュー企画。前半では、子ども時代および学生時代の体験や、当時、どんなことに興味を持ち、どんなことを学んできたのか、現在はどんな研究に携わっているのかを伺いましたが、後半では、鯨骨生物群集の調査・研究を通しての発見について詳しく伺っていきます。


大量座礁したマッコウクジラの遺骸を海に沈める計画を聞いて、ステッピング・ストーン仮説を検証するチャンスだと考えた
――鯨骨生物群集に関係する実験や調査をいくつも実施されていますが、それによってどんなことがわかりましたか?
藤原「鯨骨生物群集に関連する最初の実験に着手したのは、今から20年以上前の2002年です。あるとき、鹿児島県薩摩半島の野間岬沖に14頭のマッコウクジラが座礁するという出来事があり、うち1頭は生きて海に帰すことができたのですが、残り13頭は息絶えてしまい、陸地に埋めようという話になっていました。しかし、費用や手間がかかりすぎるということで、1頭は博物館用に埋設したものの、それ以外の12頭は水深200~250メートルに沈めることになったのです。その計画を聞いて思いついたのが、鯨骨のステッピング・ストーン仮説(飛び石仮説)の検証でした」

鯨骨をもとに、バクテリアと共生している生き物を研究することもできる
――ステッピング・ストーン仮説とはどんな説なのでしょうか?
藤原「海のなかには、マグマで熱せられた海水が海底から噴出する“熱水噴出孔”というものがあるのですが、この周辺には、噴出孔から噴き出す硫化水素やメタンを使って、無機物から有機物を作ることのできるバクテリアが存在しています。さらに、このバクテリアを体内に共生させることによって、自分では何も食べることなく生きている動物がいるのですが、こうした動物は、熱水噴出孔もしくは海底に温泉が湧いているスポットでしか生息できません。このような生きものは成体になると移動能力が非常に低く、硫化水素やメタンのない環境では生きられないので、自らが暮らす生息地点から大きく離れることはできません。生息域を拡げるには卵や幼生の時代に海流に運ばれる必要があるのですが、時には数千キロメートル離れた場所で同種が見つかる場合もあり、ひとつのスポットから次のスポットにどうやって移動できるのかは十分にわかっていません。そこで考えられたのが、鯨骨のステッピング・ストーン(飛び石)仮説です。死後のクジラの骨からは硫化水素やメタンが発生し、実際に熱水噴出孔などに暮らす生物が生息している例もあります。海底に沈んだ鯨が離れた場所にある熱水噴出孔の間の飛び石となり、生物の分散の足がかりになるというのがこの仮説です」

海底には、約20キロメートル間隔で鯨骨生物群集が存在している可能性がある
――世界の海には、飛び石になるほどたくさんのクジラが沈んでいるのでしょうか?
藤原「私が過去に試算したところ、ヒゲクジラ9種類にマッコウクジラを足した上位10種類の大きいクジラの生息数にそれぞれの死亡率を掛けると、10種類だけで年間約8万頭が死亡していることになります。その一部は陸に漂着しますが、多くは沈んで深海に達しているはずです。仮に海底に沈んだ鯨の骨が少なくとも10年は残っていると仮定した場合、あるクジラの死骸から次のクジラの死骸までの距離は約11キロメートルとなりました。約20キロメートルとする論文もあります。しかも、ここにカウントされていないツチクジラなど上位10種に入っていない大型鯨類や、イルカのような小型鯨類、セイウチ、アザラシといった海棲哺乳類もいることを考えると、海のなかには案外多くの飛び石が存在する可能性があります。ちなみに、クジラの代わりに牛や豚の骨を深海に沈めたこともありましたが、鯨骨に暮らすものと同様の生物が集まりました。」

鯨骨から発生する硫化水素やメタンに群がる生き物の生態の調査にも数年を要する
――ステッピング・ストーン仮説が正しいことは証明できたのですか?
藤原「まず、座礁したマッコウクジラが沈められた場所は鹿児島湾の西側でしたが、この場所は実験に最適だと考えました。鹿児島湾内の水深約百メートルには、体内に硫化水素から有機物を作ることのできる共生バクテリアを宿したサツマハオリムシという動物がいます。このサツマハオリムシは鹿児島湾よりはるか南方の海山の水深450メートルまで分布しています。実際に鯨骨が飛び石として機能するなら、鹿児島湾にほど近い野間岬沖の鯨骨にもやってくるに違いない。鯨骨に出現したサツマハオリムシの遺伝子を調べることで、鹿児島湾内の集団とのつながりを証明できれば、ステッピング・ストーン仮説が正しいことを示すことができる、そう考えました。しかし、8年ほど継続的に観察やサンプリングを続けたものの、野間岬沖ではサツマハオリムシを1個体も確認することはできませんでした。そこで、実験の方向性を軌道修正して、鯨骨のステッピング・ストーン仮説は間違っていることを証明することにしました。鹿児島湾内のサツマハオリムシが暮らしているすぐ脇に鯨骨を置き、ここにサツマハオリムシが現れなければステッピング・ストーン仮説は正しくないということを示すことができると考えました。」

「設置から数年後に鯨骨を回収したところ、再び予想は大きく外れ、鯨骨はサツマハオリムシだらけになっていました。これらの実験から、“条件が整えば、鯨骨は飛び石として機能する”と我々は結論しました。」


自然死した鯨遺骸に集まる生物群集は現在までに10例以下しか発見されていない
――そもそも、自然死した鯨を基盤とする生物群集が調査の対象というわけではないのですね。
藤原「自然死した鯨を基盤とする鯨骨生物群集はこれまでに世界で8例しか発見されていないんですよ。探そうとして見つかるようなものではありません。うち1例は、私も参加したブラジル沖航海で2013年に発見されました。熱水域や海山、超深海などの生物多様性や生命の起源を解き明かすための世界一周航海の一部だったのですが、有人潜水調査船『しんかい6500』に乗って海底に到着し、30分も経たないうちに、窓の外に白い物体が点々と見えてきたんです。」

「この正体が鯨骨で、鯨骨に「根」を張って栄養を吸収する“ホネクイハナムシ”の姿もはっきり見えました」

鯨骨に群がる生き物は、肉がまだ残っている段階、骨だけの段階、骨から硫化水素やメタンが発生する段階によって異なる
――骨が露わになっていたということは、肉は既に食い尽くされていたのでしょうか?
藤原「はい。ブラジル沖の鯨骨はすでに骨が露出した状態でした。鯨骨生物群集はその様子が時間とともに変化することが知られていて、大きく4つの段階にわけられます。コンゴウアナゴやサメによって筋肉や脂肪などの軟組織が食べつくされる“腐肉食期(ふにくしょくき)”を経て肉がなくなると、骨に含まれる有機物を栄養源とするホネクイハナムシなどの生き物が集まる“骨浸食期(ほねしんしょくき)”へと移行します。その後、骨に含まれる有機物が微生物に分解されて硫化水素やメタンが発生するようになると、先ほど話したサツマハオリムシのような生き物が集まる“化学合成期”が始まります。骨の中の有機物がすべて枯渇すると、骨は単なる硬い構造物となり、何か硬い基質に付着しなければ生きられない生き物たちの住処になる“懸濁物食期(けんだくぶつしょくき)”に移行すると考えられています。ただし、懸濁物食期に関してはあくまでも想像であって、実際に自然界でそのようなステージが確認されたことはありません」

鯨骨生物群集が世界で初めて見つかったのは38年前
――鯨骨生物群集が最初に発見されたのはいつごろなのですか?
藤原「世界で初めて鯨骨生物群集が見つかったのは1987年で、カリフォルニア沖の水深約1200メートルでした。そこから現在まで”天然”の鯨骨生物群集は8例しか発見されていないので、研究を進めるためには自分たちで鯨の遺骸を沈める必要がありました。」

様々な環境に生息する「イガイ科二枚貝」の比較で見えた進化の過程
――鯨骨生物群集の調査・研究を通して、思いもよらない発見がありましたか?
藤原「熱水噴出域には、“シンカイヒバリガイ”という共生バクテリアを宿した二枚貝が生息しています。その遺伝子やエラの微細構造を解析すると、鯨骨に棲息している同じイガイ科の貝のほうが、原始的な共生をおこなっていることがわかりました。さらに海底の沈木で暮らす二枚貝は、鯨骨に生息しているものよりもさらに原始的であることがわかってきました。より詳しく説明すると、イガイの仲間には沿岸で暮らしているものが多く、これらは自ら餌を食べていて生きています。一方、海底の沈木に生息する二枚貝はごく少数の共生バクテリアを鰓(えら)に宿しています。鯨骨に生息しているイガイ類は多数の共生バクテリアを宿していますが、共生バクテリアは細胞の外に分布しています。熱水噴出域に暮らすシンカイヒバリガイの仲間では、大量の共生バクテリアを細胞内に宿しています。遺伝子解析と形態観察の結果から、イガイ類とバクテリアとの共生について、我々は次のようなシナリオを考えています。」

「沿岸に暮らすイガイ類は共生バクテリアを持たず、自ら餌を食べて生活していました。現在のムラサキイガイのような生き方です。沿岸性のイガイ類は海に浮かぶ流木にも付着することがあります。流木はやがて浮力を失って海底に沈みますが,この際、イガイ類は流木から逃げることができないので、一緒に海底に沈みます。流木が深海に沈むと、そこは低温、高圧で餌の少ない世界なので、ほとんどのイガイ類は死んでしまったに違いありません。そのようなことが何千回、何万回と繰り返されるうちに、低温、高圧に耐えられる個体が出現しました。木材も有機物ですから海底に沈むと分解され、わずかながら硫化水素などを放出します。するとこの硫化水素を利用できるバクテリアを鰓の表面に宿すことができるイガイ類が現れ、鰓の表面で増殖したバクテリアを餌にするようになりました。共生バクテリアを手に入れたイガイ類は、より硫化水素濃度の高い鯨骨のような環境に進出し、さらに複雑な共生様式を発達させました。やがて共生バクテリアを細胞内に共生させることができるようになったイガイ類が誕生し、熱水噴出域のような環境に進出したのではないか、と考えています。このように考えると、鯨骨は“進化的な飛び石”としても役目を果たしていると言えるのではないでしょうか」

海の生き物についてより深く理解するためには、生態系のトッププレデターを知ることが大切
――鯨骨が地理的な飛び石であるだけでなく、進化的な飛び石でもあるということですね。
藤原「まさにそういうことです。そしてもうひとつ、鯨骨に群がる生き物を調査していて気づかされたことは、海の生き物について理解するためには、生態系のトップ・プレデター(頂点捕食者)を知ることが大事だということです。
先ほど、鯨骨生物群集には4つのステージがあることをお話しましたが、このうち2番目、3番目のステージは、海底で長い期間維持されるため、鯨を一度沈めてしまえば長期間に渡って研究が可能なのです。しかし、最初のステージは短期間で終わるため、鯨を沈めた直後から調査を実施する必要があります。ところが一般的に航海計画の立案は航海を実施する1年以上前に行われるため、鯨を入手してから航海計画を立てたのでは1番目のステージを観察することができません。何かよい手立てはないかと考えていた頃、愛知県知多半島で全長5メートル弱の赤ちゃんマッコウクジラが打ちあがり、これを研究に利用しても良いという許可を頂きました。このサイズであれば丸ごと冷凍することが可能だったので、すぐに引き取って冷凍し、機が熟すのを待つことにしました。すると運よく、NHKと米国ディスカバリーチャンネルが“深海ザメのドキュメンタリー番組を製作する”という話を聞きつけました。「鯨を1頭丸々海底に沈めれば、きっと大型の深海ザメが集まって素晴らしい撮影が可能ですよ」と話を持ちかけ、一緒に航海を実施することになりました。撮影クルーはアメリカから3隻の有人潜水船を持ち込み、海底に鯨を沈めた直後から、どんな捕食者がやってくるのかを観察する機会を得ました。その結果、相模湾の水深約500メートルに沈めた鯨の前に姿を現したのは大型のカグラザメで、最初の一嚙みの撮影に成功しました。別の機会に、南西諸島海溝の水深5百メートルで同様の実験を実施したところ、同じ日本近海、同じ水深500メートルだったにも関わらず、鯨の遺骸を食べにやってきたのは、表層性の人食いザメの1種、イタチザメでした。これらの研究からわかったのは、このような実験を行うまで、その場所のトップ・プレデターが誰なのかを我々は知らない、とうことでした。トップ・プレデターとはサバンナで言うライオンのような存在ですから、我々は「深海のライオン」が誰なのかを理解していなかったということになります。トップ・プレデターには生態系の多様性や機能をコントロールする重要な役割があることが知られており、狩猟などによってトップ・プレデターを失った生態系は大きなダメージを受けることが知られていますが、深海においては誰がトップ・プレデターであるのかさえ分かっていない状態だったので、その後、我々は深海のトップ・プレデター研究に舵を切りました」

それぞれの生き物がどんなふうに他の生き物とつながっているのかを知ることは、生態系を守ることにつながる
――最後に、鯨骨生物群集について読者のみなさんにメッセージをお願いします。
藤原「鯨骨は、いろんな側面で“ハブ”としての役割を果たしています。地理的な飛び石、進化的な飛び石としての役目はもちろん、表層で息絶えて深海に沈めば、水面と深海底をつなぐことになりますし、死んだ鯨が多くの生命を支えていることを考えると、生きているものと死んでいるものをつないでいるとも言えます。この複雑な織物のような繋がりのどの糸が途切れても、生態系が崩れたり、特定の生物が絶滅したりすることがあり得ます。地球環境変動が生態系に大きな影響を与えていると考えられていますが、ひとつひとつの繋がりを正しく理解しなければ、その影響の見積もりを大きく見誤るかもしれません。白亜紀から命を繋ぐホネクイハナムシの存在を20世紀までは誰も知らなかったように、いまだに我々は海の生態系を正しく理解しているとは言えません。それぞれの生命は見通せない奥の方まで繋がっていることを意識しながら、絶妙なバランスの上に成り立っている生態系と向き合うことが生態系の保全と持続可能な利用に繋がるのではないでしょうか」
鯨骨生物群集について詳しく知りたい人は、藤原さんが監修した絵本『クジラがしんだら』(童心社)を手に取ってみることをおすすめします。お子さんがいる家庭なら、みんなで一緒に海の生物や環境について考えるきっかけにもなるはず。大人にとっても読み応えのある一冊なので、本を通して知ったことを、周りの友だちにも話したくなること必至ですよ。

▶藤原義弘さん
藤原義弘(ふじわらよしひろ)
1969年岡山生まれ。筑波大学大学院修士課程環境科学研究科を修了(理学) 。博士(理学)。
国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)上席研究員。東京海洋大学大学院客員教授。
海底に沈んだクジラが作り出す「鯨骨生物群集」の研究を中心に、深海に生きる生物たちの関わり合いを解き明かす研究をつづけているほか、生きた深海生物の撮影にも精力的に取り組む。
著書/監修
「クジラがしんだら」(童心社)、「深海のとっても変わった生きもの」(幻冬舎)、「潜水調査船が観た深海生物―深海生物研究の現在」(共著、東海大学出版会)、「追跡! なぞの深海生物」・「深海生物生態図鑑」(あかね書房)、「深海‐鯨が誘うもうひとつの世界」(山と渓谷社)、「深海生物大図鑑」(監修、高橋書店)、 小学館の図鑑NEO「深海生物」(小学館)など多数。