「“商業捕鯨一時停止”という言葉は、『捕鯨=悪』の刷り込みを与えるためのプロパガンダだった」『下関くじら館』店長・小島純子さんinterview前編 | 聞く | くじらタウン

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2020.12.16

「“商業捕鯨一時停止”という言葉は、『捕鯨=悪』の刷り込みを与えるためのプロパガンダだった」『下関くじら館』店長・小島純子さんinterview前編

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▲下関くじら館 店長小島純子さん

近代捕鯨発祥の地とされる山口県下関市。戦前から、南氷洋捕鯨の基地としての役割を果たしてきたこの街で、1977年から鯨食文化を発信し続けてきた料理店があります。店の名は、『下関くじら館』。頭から尻尾にいたるまでの鯨肉のいろんな部位を様々な料理で味わえる店とあって、日本全国のみならず海外からも多くのお客が訪れる人気店です。現在、お店を切り盛りしているのは、創業者の娘である小島純子さん。お父様が開店した同店を、お母様や妹さんとともに守り続けられています。それだけでなく、捕鯨の歴史と鯨食文化を継承していくための活動にも長年尽力している小島さんに、クジラに対する想いを伺いました。

子ども時代、脱サラした父親がクジラ料理専門店を開店

▲下関くじら館 外観

――『下関くじら館』は当初お父様が開店されたそうですが、お父様はもともと飲食業界に携わっていらしたのですか?

「いえ。父は地元で新聞記者として働いていました。しかし、1977年に、下関でその当時唯一存在したクジラ料理店が閉店した際、『クジラを食べる人がいなくなれば捕鯨の歴史も消えてしまう』と言って一念発起。脱サラしてクジラ料理専門店を始めることにしたんです。料理人として働いた経験があったわけではないので、開業すると決めてからは、家族で試食しながらレシピを開発していきました」

「家族でクジラ料理専門店を営んでいる」というだけで白い目で見られることもあった

――お父様がお店を開店後、順調に軌道に乗りましたか?

「全然そんなことはないです。新聞記者でいてくれたほうが生活も楽だったし、はじめのころは、何で脱サラなんかしたんだろう? と思うこともしばしばでした。父の姿を見ていて子どもながらに、『こんな大変そうなクジラ業界にわたしは巻き込まれたくない』と思ったこともあるほどです。しかも、捕鯨に対してはいろんな考えがあるので、『クジラ料理専門店を営んでいる』というだけで白い目で見られることもたくさんありました」

鯨食文化や捕鯨に関する正しい情報をお客さまに伝えるためにも、絶対にお店を人任せにしたくなかった

▲下関くじら館 店内の様子

――大変なご苦労もされたでしょうね。

「そうですね。それでも、当時の父も今のわたしと同じように、ひとりでも多くの人にクジラの魅力を知ってほしいという想いがあったんだと思います。わたしもその意志を受け継いで、カウンター越しにお客さんたちにクジラのお話をすることで、“理解者”を増やすことに力を注いでいます。当店は父の時代からずっと家族経営なんですが、それはなぜかというと、カウンターに立つのは、お客さまにできる限り正しい情報を提供できる人でなければいけないと考えているからです。わたしや妹は、お店と並行して他の仕事をしていた時期もあるし、わたしは夫の転勤に伴い他県に移り住んだこともあるのですが、それでも合間合間に店に通い続けることはやめなかった。日本が継承してきた『鯨食文化は世界に誇れる文化だということや『捕鯨は悪ではない』とお客さまに伝えることを人任せにできなかったのです」

国際捕鯨委員会(IWC)脱退や商業捕鯨再開で捕鯨問題が報道されても、誤った認識を有している人が多いことに愕然とさせられた

▲下関くじら館 店内の様子

――お客さまにはどんなことをお話されるんですか?

「お客さまとお話していても、クジラや捕鯨に関して誤った認識を有している方は本当に多いなと感じるので、まずは正しい情報を提供するようにしています。たとえば、IWC脱退のときには、『南氷洋でもこれからは自由にクジラが獲れるんでしょう?』2019年に商業捕鯨が再開となったときには『どんどん鯨肉の価格が安くなるわね!』とおっしゃられたお客さまが非常に多かった。調査捕鯨が中止となったことで南氷洋のミンククジラを捕ることができなくなったことも、鯨肉の価格が高騰するかもしれないことも、みなさん理解していなかったんです。そうした消費者の認識とのギャップをいかに埋めていくかは、これからの課題になってくると思います」

「商業捕鯨一時停止」のワードは、国内外の人に誤った認識を与えた

▲全国鯨フォーラム2020in下関 パネリストとして登壇

――どうしてそのような誤った認識をするに至ったのでしょうね。

「大きな要因のひとつは、『商業捕鯨停止』という言葉なんじゃないかなと思います。本来は商業捕鯨を一時中断するという意味だったのです。しかし、この言葉をネガティブにとらえ、クジラを捕ることそのものを悪だと考える人が非常に多くなった。このプロパガンダによって、国内外の多くの人が誤った考えを刷り込まれてしまったんです。一度刷り込まれた思想を変えるのは容易ではないし、ひとつ行動を起こしても、結果が出るまでに何年もかかることもあるけど、『クジラを守って、食べて。クジラを知って、伝えて。』を発信し続けることは大事にしています」

お店でクジラを食べたお客さまに、クジラの魅力を周囲に伝えてもらえたら本望

――「クジラを守って、食べて。クジラを知って、伝えて。」に込めた想いを教えてください。

「当店で食事の時間を楽しんでいただくことを通して、まず日本が置かれている状況やクジラにまつわる問題を知っていただき、できたらそれをお友だちにも伝えてほしいなという想いです。わたしにとって一番うれしいことは、くじら館にいらしたお客さま一人ひとりが、当店で得た知識を周りのみなさんに披露してくれること。日本が捕鯨を続けることによって、『しっかりクジラ資源を管理しながらおいしくいただく。それが結果的にクジラの保護につながる』ということを、たくさんの人に伝えてもらえたらうれしいので、この言葉はずっとうちの合言葉として使っています」

長期的視野を持って啓発活動を続けることが大切

――クジラの理解者を増やすために、一時期は博多でも『博多くじら館』を開店されていたそうですね。

「とにかくたくさんの人にクジラのおいしさを知ってほしかったので、学生さんが多い博多を選びました。採算は二の次。若い人たちにも気軽に食べてもらえるよう、600円から800円くらいのリーズナブルな価格でランチを提供していました。種を蒔いて“食べる人の育成”をすることで、いつかそれが大きく結実すると信じていたんです。その後、博多店は閉じてしまいましたが、今でも、1985年前後に博多店に通っていた学生さんや常連さんたちが、『あのころ食べたクジラ料理がまた食べたい』と下関の店を訪ねてきてくれることがあるんです。数十年越しですよ。長い目で見て活動することって本当に大事だなと思わされる出来事でしたが、今後も、長期的に見て結果を出せるよう、下関の歴史も交えながら、地域の物語として語り継いでいくことを大切にしたいなと思います」

海外からのお客さんが「おいしかった」と店内ノートに感想をしたためてくれることも!

▲店内に常設しているノート

――長年の尽力の甲斐あって、最近では海外からのお客さまも多いそうですね。

「中国や韓国、アメリカからいらしてくださる方は多いですね。北京でフグ料理の店で働いている料理人が、『いずれクジラ料理も手掛けたいと思っているんだ』と言っていらしてくださったこともありました。お店で用意しているノートに、クジラを食べた感想をしたためてくださる外国人のお客さまも多いです。日本の食文化をリスペクトして応援してくださっているのです。『おいしかった』の声を聴けるのも本当に幸せ。国内外問わず、来店してくださったみなさんが、そのおいしさを周囲にも伝えてくれたらうれしいですね」

▶『下関くじら館』店長・小島純子さんのinterview後編
12月30日公開予定

▲下関くじら館 店長小島純子さん

■小島純子さん
下関くじら館 店長
1977年創業 鯨料理専門店
クジラの食文化を継承する老舗としてバリエーション豊かなクジラ料理が楽しめる。

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