聞く
学生時代、一冊の本との出会いをきっかけに鯨類に魅了されたことで、クジラやシャチ、イルカの研究をはじめたという、国立科学博物館研究員の田島木綿子さん。インタビュー前半では、博物館の研究者のお仕事や、ストランディング(鯨類が活きたまま海岸に乗り上げて自力では泳げない座礁状態となること)の研究についてお伺いしましたが、後編では、環境汚染が海の哺乳類に及ぼす影響や、クジラの魅力についてお話いただきます。
海の哺乳類も、わたしたちと同じように風邪を引いたり感染症にかかったりする
――ストランディングはなぜ起きるのですか?
「その理由をわたしも知りたくて研究を続けているのですが、わたしにとっては、病気という観点から研究することがテーマです。海の哺乳類だって風邪を引くし癌にもなるし、感染症にかかることがあれば大量死することもある。人間社会との共存による影響や、環境の悪化、エサの枯渇などももちろん大きく関わっています。20年前は温暖化に関しても精度が高いデータが存在しなかったけど、関連する分野の研究が進んだ今、海の哺乳類にとって望ましくないことが起きていることや彼らの病気に関して、本腰を入れて発信するタイミングなのかなという気がしています」
環境汚染物質が含まれた母乳を摂取し続けたことが原因で死んでしまう赤ちゃんクジラもいる
――人間社会の発展による環境汚染は、海の哺乳類にどんな影響を及ぼしているのでしょうか?
「ダイオキシンに代表される化学物質は、人間にとって役に立つから開発されているけど、一方で害を及ぼす側面もあり、現在では環境汚染物質、内分泌撹乱物質などの言葉で呼ばれています。そのひとつが、体内に高濃度に蓄積すると免疫が低下するということで、免疫が低下すると、健康体ならかからない病気にかかって死んでしまうこともある。もちろん、それは海の哺乳類にとっても同じことです。しかも、環境汚染物質って脂分に沁みやすい物質が多く、そうなると脂分の多い鯨類の母乳に大量に含有されることになり、その母乳を飲む事で死に易い状況に陥る赤ちゃんクジラがたくさんいるんです。皮肉にも、お母さんは毒が混入したミルクを子どもにあげているようなものですが、そんなことは野生動物は把握していないから。切ないの一言です。そういう動物を解剖すると、肺が寄生虫だらけです。」
わたしたち一人ひとりが地球について考えることで、未来はきっと変わる
――どうして寄生虫だらけになるんですか?
「寄生虫はお母さんの胎盤や血液から赤ちゃんクジラのほうに流れてくるんですけど、そもそも寄生虫って宿主が死ねば自分も死ぬことになるから、共存できないほどに寄生虫は悪さをしないはず。じゃあどうしてそういう事態に陥っているかというと、環境汚染物質による免疫低下に辿り着く。海外でもこういう報告はたくさんありますよ。カビが繁殖して肺炎を起こしている個体や、皮膚病の個体も多いですね。でも、人間社会の発展がこうした事態を招いているとはいっても、人間が絶滅すればいいのかというとそうじゃない。じゃあどうすればいいのかは、みなさん一人ひとりが考えるしかないと思っています。縄文時代のような生活に戻るのは無理な話だけど、たとえばレジ袋有料化でみんながマイバッグを持つようになるとか、一つひとつは小さな行動であっても、ちりも積もればで、きっとなにか道が開けてくると思うから」
進化の過程で海に戻ったのに、肺呼吸のままで居続けるクジラには意地を感じる
――クジラの魅力はどんなところだと思いますか?
「海に戻ってもなお哺乳類で居続けたところに意地を感じるんですよねえ。エラ呼吸すればどんなに楽かと思うし、赤ちゃん産むのだって大変だし、赤ちゃんがお乳を飲むのも大変。一回海面下に潜っても、また息を吸いに戻ってこなきゃいけないし。生まれたての赤ちゃんなんてよたよた泳ぎながらじゃ呼吸もままならないでしょうにね。なのに、哺乳類であることを貫いている彼らにシンパシーを感じます。哺乳類でいたかったのかな?とかも考えます」
クジラの赤ちゃんは魚みたいに卵から産まれるのではなく、母体から生まれてお乳を飲んで育つ
――赤ちゃんクジラは無事に育たないこともあるでしょうね。
「日本周辺の定置網に小っちゃい子がかかって死んでいたりすると、この子、はぐれちゃったんだねえ……としみじみします。魚みたいに卵で産むのと違って、お乳を飲んで育つし、変温動物じゃないし、海で生きていくのはきっと大変だと思うんですよ。そして、それでもがんばっているってすごいなと思います。カバみたいに水陸両用にしとけばよかったのにね」
クジラやイルカのことをもっと知りたい人には、写真家・水口博也さんの本がおすすめ
――もっとクジラについて知りたい人におすすめの本はありますか?
「世界の海をフィールドに取材を続けている写真家、水口博也さんの本はどれもおすすめです。研究者、学者的な目で彼らをとらえる方なので、どの本も魅力的。全部好きですね。彼らのことがわかるような本の作り方をされる人だと思います。うちの職員だった早良朋さんが博物館や自然史の裏側についても深堀している『へんなものみっけ!』(小学館)もいいし、その中に登場する鳴門先生は私をモデルにしていただいてます、わたしも寄稿している『続イルカ・クジラ学』(東海大学出版)も読んでもらえたらうれしいですね」
クジラのことを知ろうとすることは、わたしたち自身のことを知ることにもつながる
――クジラについてみなさんに知ってほしいことはありますか?
「一番は、クジラはわたしたちと同じ哺乳類だってこと。クジラやイルカって自分たちからすると遠い存在だと思いがちだけど、わたしたちと同じ哺乳類だということに改めて目を向けると、彼らを通して我々自身を知ることにもなる。子どもたちに説明するときにも、『どうして赤ちゃんは生まれるの?』『どうしてお乳は出るの?』『犬とわたしたちはどうして同じ仲間なの?』『海にいるのにクジラも同じ仲間なの?』『見た目は魚と似ているのに何が違うの?』ってどんどん話が展開していくし。『人間は同じ哺乳類の中でも特殊で、食べ物を調理するし洋服も着るけど、身体の構造を見ると他の哺乳類と似ている部分もあるよね』『魚には肺はないよね? 肩甲骨は犬にもあるよね?』って親子で会話しながらお互い学ぶこともできますよね」
クジラに興味を持ってくれる人がひとりでも増えるよう、後継者探しにも力を注いでいきたい
――最後に、田島さんの今後の目標を教えてください。
「後継者作りかな。コロナ期間中に思ったんですけど、人間が活動を休止している間にも、そんなことに忖度することなくストランディング個体は休むことなく打ち上がってる。その調査を長年続けてきて、活動のすばらしさを肌で感じているので、未来につないでいってくれる人がどんどん出てきてほしいと思っています。活動の記録や発表したものは、わたしたちが死んだあともずっと残るものだから。しっかりとバトンを渡すためにも、若い人たちがこういう世界に興味を持ってくれるよう、一つひとつのことに真摯に向き合っていきたいです」
▶田島木綿子さんのIntervew前編
「100年先の未来にも、クジラのことを伝えたい」
田島木綿子さん(たじまゆうこ)
国立科学博物館 動物研究部 脊椎動物研究グループ 研究主幹
博士(獣医学)、獣医師