聞く
国立科学博物館で働く研究者、田島木綿子(たじまゆうこ)さんは、「クジラの先生」として紹介されることもしばしば。同博物館動物研究部脊椎動物研究グループに所属して、鯨類が生きたまま海岸に乗り上げて自力では泳げない座礁状態となる「ストランディング」や、ヒト社会の発展が海棲哺乳類に及ぼした影響などについて研究し続けています。ストランディング個体が発見されたと連絡があれば、日本全国飛び回って調査するのも大事な仕事。多忙を極める彼女に、忙しい合間を縫ってインタビューに応えてもらいました。
一冊の本との出会いからシャチに興味を持ち、本物を見るためにカナダのツアーに参加
――田島さんがクジラに興味を持たれたのは大学時代だったそうですね。
「そうですね。獣医になりたくて獣医大学で学んでいたんですけど、もともと、犬や猫といった小動物よりは、馬や牛のような大きな動物を診たいなと思って将来の道を模索していました。そんなあるとき、図書館で借りた『オルカ ー 海の王シャチと風の物語』(早川書房)を通してシャチに興味を持ち、野生のオルカを見るためにカナダ・バンクーバーのツアーに参加しました。そしたらすっかり魅了されて、なんとかこの動物たちに関わることができないかと考えるようになったんです」
※シャチの学名が「Orcinus orca(オルキヌス・ オルカ)」であることから、シャチはオルカとも呼ばれている
鯨類のことをもっと知りたくて、専門を極める分野を、陸上の哺乳類から海の哺乳類に変更
――そこから、どのようにして鯨類に関しての見識を深めていかれたのですか?
「まず、もともと犬や猫、豚、牛などの病気の研究をしていたので、同じ哺乳類なら共通性はあるだろうと考えました。そのうえで、『今まで自分はこういうことを学んできたが、鯨類やその病気について研究するにはどんな手段がありますか?』という手紙を、いろんな大学の、その道に詳しそうな先生に送りまくりました。全部で30通は書きましたね。全部手書きで。その中ですごく丁寧に返事をくれたのが、三重大学の吉岡基(もとい)先生でした。会いに行ったらさらに真摯に対応してくださり、当時、国立科学博物館で動物研究部脊椎動物研究グループ長を務めていらっしゃった山田先生(動物学者・山田 格(やまだ ただす)氏)を紹介してくれたことが、今につながっています」
国立科学博物館の前任者と出会ったことで、水族館暮らしのイルカの死因解明にも関わるように
――山田先生は田島さんの前任者ということになりますね。そこからお仕事でも関わるようになったのですか?
「当時、国立科学博物館の研究所は新宿にあって、自宅からも近かったしちょっとずつ出入りするようになったんです。それからしばらくたったある日、山田先生から電話がかかってきて、『水族館でイルカが死んだんだけど死因解明できる?』と。犬や猫ならやったことがあるからできるだろうと思って、早速現場に向かって最大限の力を発揮しようとがんばったところ、水族館の方の反応も悪くなくて。今思えばあれが試験だったんだと思いますよ。ギリギリ合格ラインいただいたみたいで、そこから同様の依頼でお声が掛かるようになりました。その後、大学院でドクターを取った後は、山田先生の下で働き始め、定年退職された後に引き継いだ形です」
博物館研究員にとって大切な使命は「研究」「標本収集」「学習支援」の3つ
――現在は日々どんなお仕事をなさっているのですか?
「博物館で働く人にとって大切な3つの使命は、『研究』『標本収集』『学習支援』です。わたしは海の哺乳類担当なので、鯨類などの病気やその原因を研究したり、大学などの博物館外の団体と共同研究を進めたり、海岸に打ちあがったストランディング個体を活用して標本を作ったりするのが主な仕事です。作った標本によって学習支援するだけでなく、博物館の展示物や標本につける説明文を書くのも大事な仕事ですね」
日本では年間約300~400件のストランディングが発生。各地から水族館や博物館に連絡が入る
――ストランディング個体が打ち上がったという情報は、どのようにして博物館に届くのですか?
「学生時代からストランディングの研究は続けていますが、当時はまだあまりネットワークが確立してなかったんです。20年前に山田先生が力を入れて情報網を築いてくれたことで、今では各地の大学やNPOが全国の水族館や地域と密着して情報を共有してくれるようになりました。ストランディングは日本では年間約300~400件起きているので、現場に遭遇する人も増えています。わたしたちがその個体を調査して成果を出していくことによって、ストランディングのことをより多くの人に知ってほしいし、クジラやいるかをはじめとする海の哺乳類に興味を持ってもらえたらいいなと思っています」
クジラから骨を採取する方法は、「砂浜に埋めて腐敗を待つ」と「大きな鍋で煮だす」の2つある
――田島さんをモデルとするキャラクター・鳴門律子が登場する漫画『へんなものみっけ!』(小学館)では、博物館研究員の鳴門が中心となって、海岸に埋めたストランディング個体を発掘するシーンが印象的でした。
「作者(漫画家・早良朋)はうちの職員だったんですよ。あの話も実話が元になっていて、研究所が新宿にあった時代、お台場近辺での発掘作業に同行して経験したことを漫画にしているんです。漫画の中では、骨格標本を作るために3年前に埋めたナガスクジラを掘り起こしていますけど、海水浴場などの場合はその場に埋めることができないので、業者さんに頼んで、プールみたいに大きな鍋でぐつぐつ煮て骨を採ります。豚骨スープをつくる工程とまったく一緒だけど、大きさが大きさだけに何週間もかかります」
採取したものは博物館の標本として保管すれば、100年、200年先までみんなに見てもらえる
――それはすごい!ちなみに、骨を採る前のストランディング個体の調査もされあるのですか?
「まずは解剖です。解剖によって死んだ原因がわかることもありますし、赤ちゃんの個体がいれば、出産の時期などもわかります。すべてのストランディングは一期一会なので、『もうこれ以上採取できるものはないかな?』などと考えながら最大限の情報を収集します。博物館に標本として保管しておけば100年先200年先までいろんな人に見てもらえるので。学習支援の際も、わたしが話すだけと標本があるのとでは全然違う。実物を見せたら、みんな目の輝きが違いますから。やっぱり、本物に勝るものはないなと思います」
腎臓や胃の内容物から環境汚染物質を調査したり、皮膚や筋肉を採取してDNAを見たりも
――主にどんなものを採取するのですか?
「骨は可能な限り、どこかの機関で保管する努力をします。あとは、腎臓や胃の内容物を確認すれば環境汚染物質が見えてくるし、皮膚や筋肉を採取するとDNAまで調べることができる。病気が見つかればその部分をホルマリン固定して顕微鏡で見たり、生殖腺から赤ちゃんを産む時期を調べたりすることもありますね。全部を持って帰ることはとても無理だけど、そのときどきの研究になるべく最大限活かすことができるようにしています」
後編に続く(8月19日掲載予定)
田島木綿子さん(たじまゆうこ)
国立科学博物館 動物研究部 脊椎動物研究グループ 研究主幹
博士(獣医学)、獣医師