日本とくじらの歴史
日本とくじらの関係
四方を海に囲まれた島国の日本は、大昔からクジラと関わってきました。日本近海では親潮と黒潮が合流するため、多くの魚があつまり、それを追いかけてたくさんのクジラがやってきています。そういった理由もあるのか縄文時代の遺跡からは、クジラの骨を加工して作った道具や装飾品などが多数発見されています。この時代から、沿岸に流れ着いたクジラを‘‘海からの恵み’‘として利用していたと考えられています。
肉は貴重なタンパク源となり、骨や歯などは生活道具の材料として加工するなど、日本ではクジラを全てムダなく大切に使ってきました。現在も捕鯨をしていた港の近くのお寺には、クジラを供養する塚や墓が残っています。私達にとって捕鯨と鯨食文化は長年にわたる大切な文化なのです。
捕鯨の歴史
古代の捕鯨は、湾内に紛れ込んで動けなくなったクジラを捕っていましたが、弥生時代以降になると、生活を安定させるため捕鯨へと移行していきました。
はじめは船をこぎだして銛(もり)で突く「突き取り式捕鯨」が生まれ、江戸時代には、和歌山県で日本最初の捕鯨船業組織「鯨組(くじらぐみ)」が創設されました。その後延宝3年(1675)には、クジラに網をかけて銛で突く方法で、より効率的な「網取り式捕鯨」へと進化しました。これらの捕鯨方法はすぐに全国へと伝わり、各地で捕鯨業が栄え、19世紀全般にはその隆盛(りゅうせい)を極めました。鯨組は当時最大級の産業であり、「鯨一頭で七浦うるおう」といわれたゆえんです。
捕鯨が全国に伝わったことによりクジラの捕獲量が一気に増えました。そのことで、貴族階級しか口にできなかったクジラ肉は庶民にも広まりました。また、各地でクジラの墓や供養碑(くようひ)を建てて供養を行うようになりました。唄や踊り等など鯨に関係する芸能文化もこの時期に発展していきました。
近代・現代の捕鯨
日本の近代捕鯨は、明治32年(1899)導入の「ノルウェー式捕鯨」(※1)で始まりました。しかし、各国の大規模な捕鯨により、世界中のクジラ資源が激減してしまい、国際捕鯨委員会(IWC)による商業捕鯨モラトリアム(※2)を受け入れて捕鯨から撤退しました。その後、平成31年(2019)7月1日に水産庁より、鯨類の持続的な利用が確保できる程度の捕獲枠が発表され、捕鯨が31年ぶりに再開されました。
※1:船の船首に据え付けた捕鯨砲から銛を発射して捕獲する漁法。
※2:商業捕鯨を一次停止すること。