【クジラを学ぼう!】第5回 クジラの歴史について② | くじらタウン

くじらの不思議

2025.01.24

【クジラを学ぼう!】第5回 クジラの歴史について②

Share :

クジラの研究者 中村玄先生にクジラについて教わる連載企画【クジラを学ぼう!】

第5回目は「クジラの歴史について」
日本や世界とクジラはいつの時代から関わっているのか、他ではなかなか聞くことができない捕鯨の歴史や捕鯨を取り締まる国際捕鯨委員会について「捕鯨の歴史」と「国際捕鯨委員会」の2回に分けて解説します。
今回②では国際捕鯨委員会と現在の状況についてです。

国際捕鯨取締条約が発効

前回クジラの歴史について① で話したように、効率のいい捕鯨(ノルウェー式捕鯨)が行われるようになり、国家間での競争が激化するとともに、クジラの資源量への影響が大きくなりました。このような背景を受け、捕鯨の持続可能性に向けた議論が進み、国際的な規制の枠組みが模索されました。その結果、捕鯨産業は単なる技術革新の場ではなく、国際協調の下で調整されるべき産業として再編されていきました。
鯨類の資源管理と生産量の調整を目的として「国際捕鯨取締条約(ICRW)」が採択され、1948年に15か国の加盟のもと発効しました。日本は1951年に加盟し、国際的な捕鯨ルールに従う形で活動を続けました。
しかし、その後の時代の流れとともに、条約の実態は当初の目的であった捕鯨産業の調整から、クジラ資源の保護や保全を重視する方向へと変化していきました。

条約の管理対象種になっているのはヒゲクジラ10種とハクジラ3種の計13種(マッコウクジラ、キタトックリクジラ、ミナミトックリクジラ)です。

国際捕鯨委員会(IWC)とは?

国際捕鯨取締条約(ICRW)に基づいて設立された国際捕鯨委員会(IWC)は、捕鯨に関する国際的なルールを議論し、決定する役割を担っています。IWCの決定事項は加盟国による投票で行われ、特に鯨種の捕獲を禁止したり、再開したりするような重要な決定には加盟国の3/4以上の賛成が必要とされています。
しかし、加盟国の間では捕鯨をめぐる立場が大きく異なり、反捕鯨国と捕鯨容認国・持続的利用支持国がほぼ同じ比率で加盟していた時期もありました。そのため、どちらか一方の立場が3/4以上の多数を獲得することが難しく、IWC内での意思決定が停滞することがしばしばありました。
こうした状況は、捕鯨に関する国際的な議論を複雑化させ、捕鯨規制や再開に向けた合意形成を困難なものにしています。このような背景から、IWCでは加盟国間の対話や妥協が重要な課題となっています。

1980年代頃から、捕鯨を行わない国々による反捕鯨の声がIWCの中で強まるようになり、捕鯨を管理するという当初の目的から、捕鯨そのものを制限・禁止しようとする主張が目立つようになりました。
加盟国の増加に伴い、IWCは様々な国の意見が交錯する場となりました。図からもわかるように、捕鯨を行う国と反捕鯨国との間で意見の対立が顕著となり、それぞれが自国の立場を強く主張する状況が続いています。
このように、条約発効当初の目的であった「捕鯨を管理し、持続可能な形で資源を利用する」という考え方から、「捕鯨を禁止する」という声が国際社会や世論の中で広がっていきました。これにより、捕鯨をめぐる議論は経済的、文化的な側面を含む複雑な問題となっています。

1982年、商業捕鯨が一時停止

IWCでは、クジラ資源の科学的データ不足や乱獲による絶滅の危機を懸念し、1982年に商業捕鯨の一時停止(モラトリアム)が可決されました。この決定により、1986年から商業捕鯨が停止されました。
同時に、条項には「最良の科学的助言に基づき1990年までに資源量を評価し、必要に応じて規定を修正する」という内容も含まれていました。
これを受け、日本は商業捕鯨再開を目指し、鯨類資源の科学的調査を進め、持続可能な捕鯨の実現に向けた準備を行いました。

国際捕鯨取締条約 参照

日本政府による鯨類捕獲調査

1987年、日本は南極海で「南極海鯨類捕獲調査(JARPA)」を開始しました。この調査では、クジラの食性や栄養状態、年齢組成などを明らかにし、クジラ資源の現状や将来の推移を把握することを目的として実施されました。このような鯨類の生態調査は1994年からは北西太平洋でも調査が行われ、2019年まで継続されました。

シーシェパードの妨害船が日本の調査船に衝突2010年/(一財)日本鯨類研究所 提供

しかし、調査の過程で、反捕鯨を支持する環境保護団体「グリーンピース」や「シーシェパード」が調査船に衝突するなどの妨害行為が発生し、調査活動に支障をきたす事もありました。
その後、日本は科学的根拠に基づき、クジラ資源が豊富な地域での捕鯨再開を提案し、議論を進めようとしましたが、反捕鯨国がこれに応じず、交渉は行き詰まりました。1990年を期限とした商業捕鯨モラトリアムの見直しも実現せず、こうした状況を受けて、日本は2018年12月にICRW(国際捕鯨取締条約)からの脱退を決定しました。

商業捕鯨の再開

2018年12月にICRW(国際捕鯨取締条約)を脱退した日本は、2019年7月1日から31年ぶりに商業捕鯨を再開しました。ただし、捕鯨活動は日本の領海および排他的経済水域(EEZ)の範囲内に限定されています。
捕獲対象は、資源量が十分と認められるミンククジラ、ニタリクジラ、イワシクジラに限定されており、科学的根拠に基づいた捕獲枠内で捕鯨を実施しています。この捕鯨活動は、資源の持続可能性を確保しつつ、日本の伝統文化や地域経済を支えることを目的としています。

※調査・研究について詳しくはこちらから
くじらについて(調査・研究)
国際鯨類施設について

日本では、共同船舶株式会社が捕鯨母船「関鯨丸」を73年ぶりに新造しました。この新造船は、船内でクジラの解体、切り分け、真空パック、箱詰め、凍結、冷凍保管まで一貫して行うことが可能な最新設備を備えています。

さらに、2024年7月には、新たに「ナガスクジラ」が捕獲対象に追加され、年間捕獲枠は59頭と設定されました。同年9月には、半世紀ぶりに国産ナガスクジラが市場に出荷され、日本の捕鯨産業にとって重要な節目を迎えました。

次回は『第6回 水産資源としてのクジラ』を解説します。2025年2月19日(水)に掲載予定です。

今回の豆知識は「クジラのお墓」についてです。
クジラは日本人の歴史において、なくてはならない食糧資源でした。現在普通に食べられている牛も豚も鶏も“高級な食べ物”として扱われていた時代、海に囲まれた日本はクジラを重要な食糧資源として取り扱われており、『鯨一頭捕れば七浦潤う』と言われていました。
そんなクジラに感謝し、各地でクジラの墓や供養碑(くようひ)を建てて供養を行うようになりました。

捕鯨発祥の地である和歌山県太地町では、「鯨魂の永く鎮まりますよう」という願いを込め、『くじら供養碑』が建立されています。
また、山口県長門市青海島にはクジラの胎児のお墓『青海島鯨墓』も建立されています。こちらには1804年から1837年に捕獲された242頭のクジラとその太地の戒名が記された過去帳も残されています。
他にも様々な場所にひっそりとクジラの墓や供養塔が存在しています。

お墓や供養塔だけではなく、クジラ=恵比寿様として崇めたり、唄や踊り等などでクジラが出てきたりとクジラに関係する芸能文化も残っています。

このように、日本では捕鯨業が発達するとともに、お墓を建てたり、神社で祀ったりすることで感謝の気持ちを表してきました。

▶中村玄先生

中村 玄(なかむら げん)
1983年大阪生まれ埼玉育ち。東京水産大学(現:東京海洋大学)資源育成学科卒業
2012年東京海洋大学大学院 博士後期課程応用環境システム学専攻修了 博士(海洋科学)
(一財)日本鯨類研究所研究員を経て、現在は国立大学法人 東京海洋大学 学術研究院 海洋環境科学部門 鯨類学研究室 准教授。
専門は、鯨類の形態学。とくにナガスクジラ科鯨類の骨格。
著書「クジラの骨と僕らの未来」(理論社)(2022年青少年読書感想文全国コンクール高等学校の部 課題図書)「クジラ・イルカの疑問50」(成山堂)、「鳥羽山鯨類コレクション」(生物研究社)ほか

▶関連ページ
第1回「クジラってどんな生き物?」
第2回「クジラの種類」
第3回「クジラの生活について」
第4回「クジラの体について①」
第4回「クジラの体について②」
第5回「クジラの歴史について①」
くじらについて
くじらの生態
くじらの不思議

Share :