くじらの不思議
クジラの研究者 中村玄先生にクジラについて教わる連載企画【クジラを学ぼう!】
第5回目は「クジラの歴史について」
日本や世界とクジラはいつの時代から関わっているのか、他ではなかなか聞くことができない捕鯨の歴史や捕鯨を取り締まる国際捕鯨委員会について「捕鯨の歴史」と「国際捕鯨委員会」の2回に分けて解説します。
いつから人はクジラを捕っていたのか?
クジラやイルカは、遥か昔から日本で利用されてきました。記録としては、石川県の真脇遺跡(まわきいせき)などの縄文時代の遺跡から、多数のイルカ類の骨が発見されています。
当時は組織的な捕鯨ではなく、弱ったクジラや湾岸に打ち上げられたイルカを、網や槍を使って捕獲していたと考えられています。発見された骨の中で特に多いのはマイルカ科の種類で、カマイルカ、マイルカ、ハンドウイルカ、ゴンドウ類が含まれています。
これらのイルカは湾内に追い込んで網で捕獲するか、槍で突いて捕獲していたと推測されており、当時の人々が自然の中で得られる資源を活用していたことが伺えます。
世界では、6000~5000年前頃のノルウェー・アルタやロシア・ベロモルスク近郊で、湾に入り込んだクジラを捕獲する様子を描いたとされる岩絵が発見されています。また、アメリカでも類似する壁画が見つかっており、これらは当時の人々がクジラを食料として利用していたことを示唆しています。
これらの記録から、当時の人々にとって「食べられるものを食べる」という実用的な食文化が世界的に共通しており、クジラもその一環として重要な資源だったと考えられます。
商業捕鯨の始まり。突き取り式捕鯨について
日本における組織的な捕鯨は、戦国時代から江戸時代初期にかけて始まったとされています。捕鯨には船や捕獲道具が必要であり、当時の武器技術の発達が捕鯨技術の向上に繋がりました。
1570年には、現在の愛知県三河地方で、銛(もり)を用いた「突き取り式捕鯨」が行われた記録が残されています。この方法では、船上からクジラに銛を突き刺して仕留めるものでしたが、成功率が低く、クジラを逃がしてしまうことも多かったようです。
当時の捕鯨対象となったのは、主に沿岸近くに来遊するセミクジラやゴンドウ、イルカなどでした。この時代の捕鯨活動は、地域社会の共同作業として組織化されていました。
しかし、突き取り式捕鯨の非効率性を改善するため、1675年頃から「網取り式捕鯨」という新しい方法が考案されました。この技術は、網を用いてクジラを囲い込むことで捕獲効率を大幅に向上させ、近世日本の捕鯨文化を発展させるきっかけとなりました。
1675年頃に考案された網取り式捕鯨は、事前に複数の船で網を張り、クジラを追い込む方法です。クジラの遊泳方向に網を配置してその動きを封じたうえで、銛(もり)を用いて仕留めました。この手法は、従来の「突き取り式捕鯨」と比べて成功率が高かったため、多くの地域で広く採用されました。
この方法で主に捕獲されたのは、沿岸を回遊するセミクジラやザトウクジラでした。これらのクジラは、網での捕獲が比較的容易な種類であり、日本各地の捕鯨産業において重要な役割を果たしました。
網取り式捕鯨の普及により、日本の捕鯨文化は地域社会の協力による大規模な活動へと発展しました。この技術革新は、近世日本の捕鯨活動の礎を築き、後の時代の捕鯨技術にも影響を与えました。
当時、捕獲されたクジラは海岸に引き上げられ、そこで解体されました。クジラの肉は食用として利用され、その分厚い脂皮からは油が採取されました。この油は、ろうそくの原料として使われたほか、農薬として田畑にまかれることもありました。
また、クジラの骨も無駄にはされず、脱脂処理を施した後に肥料として活用されました。このように、クジラのすべての部位がさまざまな用途に利用されており、「鯨一頭捕れば七浦潤う」という言葉が示すように、クジラ1頭の捕獲は地域社会にとって非常に大きな恩恵をもたらしていました。特に離島や沿岸地域において、クジラは人々の生活を支える重要な資源だったのです。
この絵(写真上)は、捕ったクジラの解体工程を表しています。
写真中央では皮を切ってさらに細かく切って油を作っていたと思われます。
太地町での海難事故「背美流れ」
和歌山県太地町では、網取り式捕鯨が盛んに行われていました。しかし、19世紀になると、日本近海でアメリカの捕鯨活動が盛んになり、来遊するクジラの個体数が減少したことから、十分な数のクジラを捕ることが難しくなっていきました。
こうした状況の中、1878年(明治11年)12月24日、太地町の捕鯨船団は、本来捕ってはならないとされていた子連れのセミクジラを捕獲しようと試みました。しかし、その際に発生した大規模な海難事故「背見流れ」により、船団が遭難し、100名以上が行方不明となる悲劇が起こりました。
この事故は地域社会に大きな衝撃を与え、網取り式捕鯨の終焉を決定づける出来事となりました。この出来事をきっかけに、太地町を含む日本の捕鯨文化は大きな転換期を迎えることになりました。
アメリカ式捕鯨の始まり
歴史上有名な人物であるマシュー・ペリー(Matthew Perry)は、アメリカ海軍の司令官として知られています。ペリーは1853年に日本を訪れ、開国を迫った人物として記録されていますが、当時、捕鯨もアメリカにとって重要な産業でした。
19世紀、アメリカの捕鯨活動は世界規模で行われており、初期にはフランスのバスク地方の捕鯨文化から影響を受けて始まったとされています。その後、大西洋での捕鯨が進み、捕鯨資源が枯渇したため、アメリカの捕鯨船団は太平洋に進出しました。特に、日本近海は「ジャパングラウンド」と呼ばれる優れた漁場として注目され、捕鯨活動が盛んに行われました。
ペリーが日本を訪れた背景の一つには、捕鯨船団が活動を続けるために必要な薪や真水を確保する補給地を求めていたことが挙げられ、開国を求める交渉を行ったのです。
外洋における大規模な捕鯨活動は、アメリカで発展した「アメリカ式捕鯨」として知られています。この遠洋捕鯨は、17世紀以降に大西洋から始まり、徐々に太平洋へと広がっていきました。当時、アメリカの捕鯨船団は帆船を用いて遠洋航海を行い、効率的にクジラを捕獲していました。
捕鯨の主な目的は、クジラの脂肪から採取される油であり、この「鯨油」は照明用のランプや工業製品の潤滑油として広く利用されました。鯨油は産業革命以前の重要なエネルギー資源であり、捕鯨は経済的にも大きな意義を持つ産業でした。
アメリカ式捕鯨では、大型の捕鯨母船から「カッター」と呼ばれる手漕ぎ船を出し、その船に乗った捕鯨者が銛(もり)を使ってクジラを仕留めます。捕獲したクジラは母船の舷で解体され、皮から油が採取されていました。
「雲鷹丸(うんようまる)」は、現在の東京海洋大学が所有する初期の実習船です。現存する唯一のバーク型捕鯨母船で、1900年代初頭にはアメリカ式捕鯨の実習が行われました。
現代の捕鯨へ
1900年代になると、ノルウェーのスヴェン・フォイン(Svend Foyn)が考案した「捕鯨砲」の登場により、「ノルウェー式捕鯨」が世界的に主流となりました。この手法では、捕鯨船の船首に取り付けられた「捕鯨砲」と呼ばれる装置が使用されました。捕鯨砲は、大砲の先端に銛(もり)とロープを取り付けたもので、従来の手法に比べて効率的かつ安全にクジラを捕獲することが可能でした。当初、捕獲したクジラは沿岸基地まで曳航され、解体が行われていました。しかし、その後、捕獲したクジラを船上に引き上げるための「スリップウェー」を搭載した大型母船が開発されたことで、南極海などの遠洋でも捕獲から加工までを一貫して行うことが可能になりました。この技術革新により、高速遊泳をするナガスクジラ科の大型種を含む、さまざまな種類のクジラが捕獲対象となり、捕鯨産業は大きく拡大しました。
ノルウェー式捕鯨の導入によって、捕鯨の効率は飛躍的に向上し、1日に数十頭ものクジラを捕獲することが可能となりました。記録によれば、1頭のクジラを解体する作業はわずか数十分で完了していたとされ、この技術革新により捕鯨産業は急速に拡大しました。しかし、この効率の高さが産業間競争を激化させる一因ともなりました。
ノルウェー式捕鯨はその高い生産性から、イギリス、日本、ロシア、アメリカなど、世界中で広く採用されました。しかし、各国が捕鯨による利益を追求した結果、捕獲競争が激化し、クジラの個体数が急激に減少しました。こうした状況の中、捕鯨産業全体の持続可能性を確保するために、資源管理だけでなく、国家間で捕鯨量を調整し、産業の均衡を保つ必要性が強く認識されるようになりました。
次回【クジラの歴史について②】は今週1/24(金)公開予定です。
日本人にとってクジラは”海からの幸”として大切にされ、食用だけでなく内臓、皮、尾、骨やヒゲまで、全てを捨てることなく利用してきました。
プラスチックなどの素材がない時代はクジラが重宝されており、食べられないヒゲや歯は靴べらやアクセサリーなどに加工され、生活の道具や装飾品としても利用されてきました。
クジラの歯に関しては硬くて丈夫なのでアクセサリーなどとして身に着けることで「魔除け」のお守りとされていました。
クジラの工芸品についてはこちら
▶中村玄先生
中村 玄(なかむら げん)
1983年大阪生まれ埼玉育ち。東京水産大学(現:東京海洋大学)資源育成学科卒業
2012年東京海洋大学大学院 博士後期課程応用環境システム学専攻修了 博士(海洋科学)
(一財)日本鯨類研究所研究員を経て、現在は国立大学法人 東京海洋大学 学術研究院 海洋環境科学部門 鯨類学研究室 准教授。
専門は、鯨類の形態学。とくにナガスクジラ科鯨類の骨格。
著書「クジラの骨と僕らの未来」(理論社)(2022年青少年読書感想文全国コンクール高等学校の部 課題図書)「クジラ・イルカの疑問50」(成山堂)、「鳥羽山鯨類コレクション」(生物研究社)ほか
▶関連ページ
第1回「クジラってどんな生き物?」
第2回「クジラの種類」
第3回「クジラの生活について」
第4回「クジラの体について①」
第4回「くじらの体について②」
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