くじらの不思議
クジラの研究者 中村玄先生にクジラについて教わる連載企画【クジラを学ぼう!】
第4回目は「クジラの体について」です。
クジラの体の仕組みについて2回に分けて解説します。
今回②ではクジラの睡眠、オス・メスの見分け方、鼻、目、耳、音のきき方についてです。
クジラの睡眠
クジラはどのように眠るのでしょうか。もし私たちのように完全に熟睡してしまうと、海底まで沈んでしまう危険があります。さらに、クジラは肺呼吸をする哺乳類であるため、呼吸を止めたままでは生きられません。
そこで、クジラは「半球睡眠」と呼ばれる特別な能力を進化させました。この睡眠方法では、脳を半分ずつ休ませることで、片方の脳が休んでいる間にもう片方の脳が遊泳や周囲の監視を担っています。この仕組みによって、彼らは溺れることなく眠ることができるのです。
オスとメスの見分け方
多くのクジラはオスとメスの見た目がよく似ていますが、肛門と生殖孔の位置関係を見ればオスとメスを見分けることができます。
オスのクジラは、肛門と生殖孔の間に何もないエリアがありますが、メスではこれらの構造が近接しており、ほぼ一体化しています。また、オスとメスで見た目に明らかな違いがある種類のクジラも存在します。
たとえば、シャチではオスの背ビレや胸ビレがメスよりも大きいのが特徴です。イッカクでは、オスだけに長い牙が生えています。さらに、アカボウクジラの仲間では、オスだけに歯があることで知られています。
鼻について
鼻は呼吸の際に空気を取り入れるための重要な部位です。上の写真では、大きいほうがミンククジラの赤ちゃんの頭蓋骨、小さいほうが鹿の頭蓋骨を示しています。また、同じ骨の部位が同じ色で色付けされています。
特に水色で示された「鼻骨(びこつ)」に注目してください。この骨の前方に鼻の穴が位置しています。多くの哺乳類では、鼻は顔の先端に位置していますが、クジラでは鼻が目の上あたりに移動しているのがわかるでしょうか。この位置の違いは、水中での生活に適応した結果であり、効率的に呼吸するための進化の一例です。
クジラの祖先も陸を歩いていた頃は他の哺乳類と同じように鼻は顔の前にありました。しかし、進化の過程で鼻は頭のてっぺんに移動しました。これは泳ぎながらでも楽に呼吸ができるように進化したためと考えられています。
噴気(潮吹き)について
クジラといえば、頭の上から出る「噴水」をイメージする方が多いかもしれません。しかし、実際にはあれは「噴水」ではなく、鼻から吐き出された空気、つまり「噴気」です。クジラの種類によって、この噴気の大きさや形は異なります。
では、なぜ噴気がこれほどはっきりと見えるのでしょうか。その理由をいくつか挙げて説明します。
まず1つ目の理由は、体内の温度と外気温の温度差です。この現象は、冬に私たちの吐く息が白く見えるのと同じ原理です。暖かい体内の空気が冷たい外気に触れることで、水蒸気が凝縮し、霧のように見えます。
2つ目は、気圧による変化です。クジラは短い時間で大量の空気を勢いよく吐き出します。この際、気圧の差により吐息に含まれる水蒸気が気体から液体に変わり、霧状になります。
3つ目は、海水の巻き上げです。クジラは水面下で息を吐くことがあり、その際、体の上に乗っていた海水が一緒に巻き上げられて噴気に混ざることがあります。
4つ目の理由として、粘膜を一緒に吐き出すことが挙げられます。クジラが息を吐く際、気管や鼻道にある粘膜、つまり鼻水が混ざることがあります。この鼻水は、近年、ドローンを用いて採取されることがあり、細胞や病原ウイルスの調査に役立てられています。
目について
お風呂やプールで目を開けたとき、周りがぼやけて見える経験をしたことはありませんか?その際、水中眼鏡やゴーグルをかけると、周囲がはっきり見えるようになることがあります。これは、水中と空気中では光の屈折率が異なり、私たちの目は空気中の屈折率に合わせて進化したためです。具体的には、水晶体の形が空気中での視覚に適した楕円形をしているため、水中では屈折がうまく調整できず視界がぼやけるのです。
一方で、クジラの水晶体は水中の光の屈折率に適応しており、球形をしています。この構造により、水中でも光を正確に屈折させることができ、クリアな視界を確保しています。また、クジラの目の強膜(眼球の奥の部分)は非常に分厚く硬くなっています。これは、水中の低温や水圧への耐性を高めるためと考えられており、マグロやカジキといった魚類にも同様の特徴が見られます。
ただし、鯨類の視力は一般的にあまり高くないとされ、0.1程度だと推定されています。これは私たち人間と比べると低い数字ですが、水中で物を識別するには十分な能力だと考えられています。
クジラの音の出し方
クジラの視力は0.1程度ですが、彼らは音を使って周囲の様子を“見る”ことができます。 水は空気よりもよく光を吸収するため、水深200mを超えるとほぼ太陽の光は届きません。また、濁りなどで水の透明度が低くなればそれだけ光の透過率は下がります。そこで彼らが獲得したのが、音を使って周囲を知る能力です。
コウモリや魚群探知機と同じで自分が出した音の跳ね返りを受信して周りの環境や対象物を認知します。ハクジラ類も同じようなメカニズムで周囲の様子を見ているのです。
では、どこからどのように音を出し、反響音を聞くのでしょうか。
上の図はハクジラ類の頭の図です。多くのイルカの仲間はおでこが丸いです。しかし、頭骨は逆にくぼんでいます。
ハクジラ類は、鼻の通り道にある複数の空気嚢に空気を出し入れすることで音を作り出します。この仕組みでは、空気嚢の入り口にある「鼻声門」と呼ばれる弁を振動させ、その振動が音となります。生成された音は、頭部にある「メロン」と呼ばれる脂肪の塊を通って体外に放出されます(❶)。放出された音波は対象物に当たると、一部が反射します(❷)。ハクジラ類は、この反射音を耳で聴き取ることで周囲の環境を認識しているのです(❸)。
ところで、「メロン」と呼ばれるこの脂肪の塊が果物のメロンに似ているという理由でその名が付けられています。外側は皮のように硬いものの、内側は柔らかく、形状や質感が果物のメロンに非常によく似ています。私もその特徴に感心した記憶があります。
一方、ヒゲクジラ類の音の発生メカニズムはハクジラ類とは大きく異なります。ヒゲクジラ類では、喉にある「喉頭嚢(こうとうのう)」と呼ばれる袋状の構造に肺から空気を出し入れすることで音を生成していると考えられています。
耳について
私たち人間を含む陸上で生活する哺乳類は、空気中の音を耳で感知します。この仕組みは、音がまず耳介(じかい)と呼ばれる外耳の部分に集められ、外耳道(がいじどう)を通って鼓膜(こまく)を震わせることから始まります。その振動は鼓膜に接する耳小骨(じしょうこつ)に伝わり、さらに振動が増幅されて内耳内のリンパ液を動かします。このリンパ液の動きを感知する細胞が電気信号を脳に伝えることで、音として認識されるのです。では、水の中で生活しているクジラはどのように音を聞いているのでしょうか。
水中で生活するクジラには、このような陸上哺乳類のような耳介や鼓膜がありません。さらに、外耳道も体の表面では閉じられており、まるでおへそのような形状になっています。しかし、脂肪層の下には外耳道が続いており、その中には耳垢が溜まります。「クジラの生活」で紹介したように、ヒゲクジラ類ではその耳垢を使って年齢を調べることができます)。
クジラが音を感知する仕組みは、外耳道を通すのではなく、音が体全体、特に耳の骨付近を通ることで成立しています。音が体内に入ると、鼓室胞(こしつほう)と呼ばれる骨が振動します。この鼓室胞は耳小骨と繋がっているため、その後のプロセスは陸上哺乳類と同様に進みます。このように、クジラは陸上哺乳類とは異なる仕組みで音を感知しているのです。
音には、異なる物質間を伝わる際に一部が跳ね返されるという特性があります。例えば、空気中を通っていた声が壁に当たると反響するのは、音が空気と壁という異なる物質間で跳ね返るためです。同じように、水中の音が骨に伝わる際にも一部が反射されるため、音の減衰が発生します。これは音を頼りに生活しているクジラにとっては重要な課題です。
特に、クジラの耳の骨は下顎骨(かがくこつ)の裏に位置しているため、下顎骨によって音が遮られる構造になっています。
ヒゲクジラ類の発する低周波音は、それほど音の減衰が大きくありません。しかし、ハクジラ類のように高周波音を用いる種類にとっては、音の減衰は深刻な問題となります。この問題に対処するため、ハクジラ類は特別な進化を遂げました。
ハクジラ類では、下顎骨を極限まで薄くすることで音の減衰を防いでいます。例えば、マッコウクジラの下顎は全長が3メートル近くにもなるにもかかわらず、最も薄い部分の骨の厚みはわずか2〜3ミリメートルしかありません。この薄さは、ライトの光が透けるほどです。さらに、下顎の内側には、水とほぼ同じ音の伝導率を持つ脂肪が存在しており、これによって音の減衰を最小限に抑えています。
このように、クジラの耳の構造は、陸上哺乳類とは大きく異なり、水中環境に適応するために独自の進化を遂げています。特に、ハクジラ類に見られる下顎の構造の特殊化は、高周波音を効果的に感知するための重要な工夫だと言えるでしょう。
では、クジラたちは音を通してどのくらいの範囲を認知できるのでしょうか。
まず、ヒトとイルカの視野を比較してみましょう。ヒトの視野は垂直方向で約120°、水平方向で約200°に達します。一方、イルカの視野は垂直方向で約50°、水平方向では約60°と、ヒトに比べてかなり狭い範囲に限られています。
音をコミュニケーションや音源の位置の把握程度にしか使えない我々からすると、音を通して周囲の様子を“見る”という行為はなかなか想像しづらいかもしれません。
しかし、私たちが当然のように考えている「目で見る」という行為も、実際は脳内で光の波を映像化することで成り立っているのです。それに対し、クジラは音の波を脳内で映像化する仕組みを持っているのです。
さらに彼らが行なっている自身が発した音の反射を利用した認識方法は、人間が暗闇でヘッドライトをつけて周囲を見渡す感覚に似ていると言えます。 さらに驚くべきことに、クジラはこの音波を使った認識能力で、約70メートル先にある物体の材質や厚みの違いを識別することができます。このように人間の視力では捉えられないような細かい情報を把握する非常に高度な能力を有しているのです。
次回は『日本とクジラの歴史』を解説します。2025年1月22日(水)に掲載予定です。
豆知識
世界最大の動物シロナガスクジラの眼球はどのくらいのサイズだと思いますか?
シロナガスクジラはは体長が25m程度。ですので目のサイズも大きいのかと想像されますが、実はクジラは体に対して目のサイズが小さく『グレープフルーツ』くらいのサイズだと言われています。人と比べれば大きいですが体のサイズを考えると小さく感じてしまいますね。
ということで・・・
正解は②の直径15cm程度
個体差はありますが、グレープフルーツは直径13~15cmなので同じくらいと言われています。
ちなみに、クジラは人と同じで瞬きもします。
▶中村玄先生
中村 玄(なかむら げん)
1983年大阪生まれ埼玉育ち。東京水産大学(現:東京海洋大学)資源育成学科卒業
2012年東京海洋大学大学院 博士後期課程応用環境システム学専攻修了 博士(海洋科学)
(一財)日本鯨類研究所研究員を経て、現在は国立大学法人 東京海洋大学 学術研究院 海洋環境科学部門 鯨類学研究室 准教授。
専門は、鯨類の形態学。とくにナガスクジラ科鯨類の骨格。
著書「クジラの骨と僕らの未来」(理論社)(2022年青少年読書感想文全国コンクール高等学校の部 課題図書)「クジラ・イルカの疑問50」(成山堂)、「鳥羽山鯨類コレクション」(生物研究社)ほか
▶関連ページ
第1回「クジラってどんな生き物?」
第2回「クジラの種類」
第3回「クジラの生活について」
第4回「クジラの体について①」
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