くじらの不思議
クジラの研究者 中村玄先生にクジラについて教わる連載企画【クジラを学ぼう!】
第3回目は「クジラの生活について」
クジラはどこでどんな生活をしているのか、他ではなかなか聞くことができないクジラの回遊、寿命や年齢の調べ方について教えてもらいます。
クジラはどこにいるのか
ほとんどのクジラの仲間は海に生息しています。
しかし、カワイルカの仲間やカワゴンドウのように淡水域に生息している種もいます。
では、私たちが住んでいる日本の周りにはどのようなクジラの仲間がいるのでしょうか。もっとも身近な種はスナメリです。
スナメリは体長2m程度の小型の種で、水深50m程度の浅い砂地を好むため運が良ければ岸から海を眺めたり、フェリーなどの船に乗ったりした際に見ることもできます。
日本は南北に約3000kmと長いため、場所によって亜寒帯から亜熱帯までさまざまな気候区分に属します。そのため世界で見られるクジラの約半数近く、40種程度が生息しています。
ただ、いつでもどこでも見られるわけではありません。クジラの種類によって見られる時期や場所が異なるからです。
たとえばザトウクジラは冬場になると繁殖や子育てのために小笠原諸島や沖縄諸島、八丈島や奄美大島などの南方の島にやってきます。一方で、イワシクジラのように沖合にしかいない種類や、アカボウクジラやマッコウクジラのように海底が深く沈み込んでいる環境を好む種類もいます。種類によってさまざまな環境に生息しているのです。
季節回遊について
地球全体に目を向けてみると、クジラは地球上のあらゆる海に生息しています。 1年中北極圏に留まるホッキョククジラや、熱帯から温帯域に留まるニタリクジラのように特定の環境に留まる種もいますが、多くのヒゲクジラ類は季節とともに大規模な季節回遊をします。
彼らは夏になると餌を食べに極域(北極や南極)に行き、冬になると赤道近くの暖かい海域で出産や子育てをするのです。
ヒゲクジラ類の中で、季節回遊の実態が詳しく明らかにされているコククジラの例を見てみましょう。
季節回遊をおこなう順番は年齢、性別、性状態(成熟しているか否かや妊娠の有無)によって異なるようです。はじめに南の繁殖海域に南下するのは妊娠後期メスです。その後、妊娠初期~中期のメス、大人のオスが続き、最後は11月中旬に成熟していないオスとメスが南下します。
繁殖海域では交尾・出産・子育てが行われます。2月中旬になると今度は餌を食べるため北上をはじめますが、最初に移動を開始するのは繁殖海域で交尾をし、妊娠したメスです。その後、大人のオス、成熟していないオスとメスが続き、最後は繁殖海域で出産をした親子連れの順となります。摂餌海域は寒いため、ある程度子どもが大きくなるまで、暖かい繁殖海域に留まるのですね。
ちなみに泳ぐ速さは平均時速7.7km、一日に移動する距離は185km程度です。私たちからするとゆっくりランニングするくらいの速さで東京から長野まで速度で移動するイメージです。数ヶ月かけて15000~20000kmもの距離を泳ぎます。
年齢(寿命)について
クジラは私たちより長生きなのでしょうか?
上の図はヒゲクジラ類の最高年齢を示しています。
シロナガスクジラは110歳、ナガスクジラは114歳と聞くと長寿の印象を受けます。ただ、これはあくまで最高年齢で、平均寿命とは異なります。私たちヒトの最高年齢は男性116歳、女性122歳とされていますが、日本人の平均寿命(※)は男性が 81.05 歳、女性が87.09歳だそうです。ヒゲクジラ類の多くはおおよそ私たちと同じくらいの時間を生きるのですね。
※人の平均寿命・・・厚生労働省「令和4年簡易生命表」より参照
年齢の調べ方
上でヒゲクジラ類の最高年齢の話をしましたが、戸籍もない野生動物の年齢はどのように調べられるのでしょう。もちろん個体識別をして生まれてから死ぬまで観察することができれば一番良いのですが、寿命の長い生き物が相手では先に研究者の寿命が尽きてしまうこともあるでしょう。そのため、研究者は一生懸命、対象生物の体から年齢を知る手掛かりである“年齢形質”を探してきました。
木の年齢をどのように調べるかと問われれば、多くの人が木の幹に形成された年輪を数えると答えるでしょう。実は私たちの体の中にも木の幹のように時を刻んでいる部位がいくつもあります。
哺乳類で年齢を知る手掛かりとして一般的に使われているのは“歯”です。歯の象牙質やエナメル質は歯が生えてきてからも蓄積され、年輪が作られます。
ハクジラ類も同様に歯の断面で年齢を知ることができます。下図のように断面に層が形成されているのがわかるでしょうか。
ところで、歯を持たないヒゲクジラ類はどうやって年齢を調べるのでしょうか。
下にいくつか候補を挙げてみました。実はいずれも年齢を知る重要な手掛かりになるのですが、今もっとも信頼されている年齢形質はちょっと意外なものかもしれません。それでは一つずつ特徴をみていきましょう。
①のクジラヒゲは人の爪や髪の毛と同様、生涯伸び続け、よくみると木の年輪のような層が形成されます。しかし、クジラヒゲの先端は擦り減ってしまうため、2-3歳以上の個体では正しい年齢の推定ができません。
②の骨も部位によっては成長層をつくりますが、骨の内部で分解されてしまうことからヒゲ板同様、生涯の年齢を知るのは困難です。
クジラは進化の過程で耳の通り道(耳道:じどう)が体の表面で閉じてしまいました。体の内部では耳道が開いており、そこに形成されるのが③の耳垢です。耳垢は生涯にわたり溜り続けるうえ、成長層が形成されるため年齢の推定ができます。
④の体の大きさも途中で成長が止まってしまうため、子供の頃はある程度分かりますが、成熟し、体の成長が止まるとわからなくなってしまいます。
このことからヒゲクジラ類でもっとも有効とされている年齢形質はなんと ③の耳垢 なのです。
上の写真はナガスクジラの耳垢の断面です。耳垢が蓄積したものなので耳垢栓(じこうせん)と呼ばれます。断面に縞々の層が見えます。明るい色の層は餌を食べる時期に形成され、暗い色の層は餌を食べない繁殖期に形成されると言われています。この明るい層と暗い層の2つセットで1年とカウントします。
真ん中あたりの弧形の点線の位置が生まれた時にできた出生線で、ここから1年1層ずつ耳垢が蓄積されていきます。写真は明るい層が36層確認されるので、36歳と推定されます。
クジラの種類や個体によって耳垢の硬さや大きさが異なりますが、多くは硬めの粘土のような質感です。ただ、セミクジラやホッキョククジラの耳垢は泥状で耳垢から年齢を調べるのが難しいようです。
近年では技術の進歩により目の水晶体を化学的に分析する方法や遺伝子解析によっても年齢推定が試みられています。
次回は『クジラの体について』のお話です。12月25日(水)に掲載予定です。
クジラの体の構造やお腹の白い膨らむ部分は何なのかなどを解説してもらいます。
今回はクジラの寿命についてお話しました。クジラは沢山の種類がいますが、現在知られている最も長寿とされる種類は何で、年齢はどれくらいだと何歳だと思いますか?
正解は・・・ホッキョククジラです。
ホッキョククジラは北極の海に生息するセミクジラ科のクジラです。 先ほどの解説でセミクジラ科は耳垢で年齢を調べられない種類とお伝えしましたが、目の水晶体を化学的に分析してタンパク質の構造を調べたところ、どうやら最高年齢は200歳に達すると推定されました。また、2007年に捕獲された個体の体内から1879年に使われていた捕鯨の銛先が出てきたことから、この個体は少なくとも128年以上生きていたことが示されました。これらのことからどうやらホッキョククジラがかなりの長寿であることがわかります。
▶中村玄先生
中村 玄(なかむら げん)
1983年大阪生まれ埼玉育ち。東京水産大学(現:東京海洋大学)資源育成学科卒業
2012年東京海洋大学大学院 博士後期課程応用環境システム学専攻修了 博士(海洋科学)
(一財)日本鯨類研究所研究員を経て、現在は国立大学法人 東京海洋大学 学術研究院 海洋環境科学部門 鯨類学研究室 准教授。
専門は、鯨類の形態学。とくにナガスクジラ科鯨類の骨格。
著書「クジラの骨と僕らの未来」(理論社)(2022年青少年読書感想文全国コンクール高等学校の部 課題図書)「クジラ・イルカの疑問50」(成山堂)、「鳥羽山鯨類コレクション」(生物研究社)ほか